2014-03-01から1ヶ月間の記事一覧
部屋の壁に、厚い唇を持った小さな口が生えてきて、何だかわからない歌を歌っていた。 先週送った履歴書が、ほとんど返ってきてしまったので、もったいないので証明写真だけを剥がして、わざと大げさに、くしゃくしゃ、くしゃくしゃと丸めていると、壁に生え…
ある水族館の、薄暗い水槽の底に、蛸が一匹生きている。 かつて水槽を満たしていた、腐った海水は干上がり、隠れ家にしていた飾りの岩も、なよなよとした海草も、今ではすっかりひびわれて、乾いた埃が表面をうっすらと覆っている。 蛸の体はやけに瑞々しい…
小さな部屋の、白いベッドに、目覚めない男が寝ている。春の丘をはめこんだ窓は目いっぱい開かれ、薄いカーテンが風を孕んでいる。 目覚めない男の傍らに、色白の女が座って果物を剥いている。女は剥き終えた果物を小さく切り分け、目覚めない男の口元へ差し…
長い雨が降った次の日、庭の隅に水たまりが現れた。鏡のように美しい、傷ひとつないその水面を、庭で飼っている飼い犬が興味深そうに覗き込んでいる。 洗濯物を干しながらその様子を眺めていると、とつぜん水たまりの中から、女らしい腕が出てきて飼い犬をゆ…
バスを乗り継いで職場につくと、私は衝立で仕切られた無数のブースの中から、私の名札がぶら下げられた椅子に座る。目の前には色紙ほどの大きさの鏡があって、足元にはベルトコンベアが流れている。 仕事が始まる時間まで、私は鏡を磨くことにしている。他の…
夕日の差し込む、小さな部屋に、私とその人がいる。私は窓辺に腰かけて、その人が好きな漫画を読んでいる。その人は薄い布団にくるまって、私の好きな画集をめくっている。遠くで犬が鳴いている。 「背中がかゆい」 とその人が言う。 「そう」 と私が答える…
今年の生贄に選ばれたのは僕の母だったので、二人で海を見に行った。 言葉もなく、僕らはじっと海を見ていた。どこかの家から途切れ途切れの、野球中継の音が聞こえていた。僕はぼんやりそれを聞きながら、隣の母を見た。右と左で大きさの違う母の目に、カモ…
台所に飾られている首の長い花瓶には、何のものかわからない尖った一本の骨が活けられている。 骨は母が活けたもので、骨はかすかに桃色がかっていて、骨は母と仲が良い。 母は家事が一段落すると、骨と指先で戯れる。花瓶のガラスの曲線に沿って骨は、キン…
缶詰を開けると、中は小さな海で、やせっぽちの小娘が、水面に浮かんで、異国の歌を口ずさんでいた。深い緑の瞳には、まんまるの月が映っていた。 小娘はどこまでも流されていくようだった。しばらく見つめているうちに、なぜだかとつぜんいたたまれなくなっ…
いつもより遅く帰ってきた妹が、晩飯を食べているとき、「この梨は甘いけど、バクダンは苦いのよ」とつぶやいた。 その夜、妹の下着を脱がせたとき、太腿の間からかすかに、火薬のにおいが漂ってきた。
私の恋人の心臓は、恋人が死ぬと、質のいい石になるらしい。 だから彼女が死んだあと、石になった心臓が取り出され、万年筆の軸に加工されることが決まっている。 そろそろ彼女にプロポーズしたいが、驚かせて彼女の心臓が止まったりしたらと思うと、思わず…
その鯨は、一人ぼっちで生まれて、一人ぼっちで暮らしていたので、それを見てたくさんの船乗りが、鯨の物語を作った。 あるとき鯨は、さびしくなって、陸に上がったが、村の灯りを見つけたところで、力尽きてしまった。それを聞きつけて、たくさんの旅人が、…
(キッチンの白いテーブルクロスの上に、真っ赤な林檎が置かれている。柔らかい午後の陽にてらされて、林檎から青みがかかった影が伸びている。) (古くさい椅子に腰掛けて、静かに寝息を立てていたKちゃんが、林檎の香りに鼻をくすぐられ、ふと目を覚ます…
「必ず回収しに来るから」と言い残し、宇宙飛行士たちはロケットで去っていく。 小さな惑星に取り残されたロボットの耳が錆びていく。 地球の音が聞こえなくなっていく。 ロボットは地球の方角を見つめながら、ゆっくり朽ち果てていく。 人工衛星のカメラが…