超短編小説 トモコとマリコ

超短編小説を中心とした短い読み物を発表しています。

ラボ

 一か月に一度、夜、就寝時間の前に、刑務所に、薬が散布される。
 それを吸って眠ると、母親の夢を見るという薬だ。
 だから、その夜は、あちこちの房から、すすり泣きが聞こえてくる。
 俺には母親がいない。
 だが、その薬を吸って眠ると、知らない女の夢を見る。
 あれが俺の母親なのかもしれない。

お前誰が好きなの

 会社の昼休み、いつものコンビニのATMで、お金をおろそうとした時、ATMが言った。
「私と結婚してください」
 僕は驚いてしまって、
「ごめんなさい」
 と謝って、慌ててコンビニを出た。そのせいで、少し遠くのコンビニに行かざるを得なくなった。
 数日後、おそるおそるそのコンビニに行き、ATMを見ると、「故障中」と書かれた紙が貼られていた。僕がそれを見てぼんやりしていると、コンビニの店長がいつの間にか背後に立っていて、
「人間じゃなきゃ嫌だよねえ」
 と僕に話しかけてきた。
 僕はわざと曖昧に頷いた。

魔法陣

 伯父が経営している養鶏場で、高校の夏休みの間、アルバイトした。鶏舎に入ると、無数のニワトリがいた。フンの掃除や餌やりを手伝うそうだ。
「こいつらがみんな卵を産むんだね」
「ああ」
 何だかすごい話だと思った。
「あいつ以外はな」
 伯父が鶏舎の隅を指差した。一羽のニワトリが、こちらに背中を向けて立っていた。そのニワトリの前には、イーゼルとカンバスが立っていた。ニワトリは翼をごちゃごちゃ動かしていた。カンバスには、卵の油絵が描かれていた。
「ああいうのもいるのさ」
 それを見て僕は、美大を目指している同級生のでかい声を思い出していた。

かわいいひと

 大学受験会場で、試験と試験の間の休み時間、大学の建物の裏へ行くと、休憩所があった。
「関係者以外立入禁止」
 そんな看板が出ていた。風が吹いた。コーヒーとタバコのにおいが漂ってきた。
 休憩所を覗き込むと、点Aと点Bが、缶コーヒーとタバコを口にしながら、ぼそぼそと喋っていた。
 次の時間は数学の試験がある。おそらくその試験に出てくる点Aと点Bなのだろうとわかった。疲れた顔をしていたのが気にかかったが、そっと試験会場に戻った。
 そして数学の試験が始まった。問題用紙をめくると、歯磨き粉の匂いが鼻をついた。どうやら点たちは歯を磨いたらしい。ここは良い大学かもしれない。

ミントコンディション

 空気清浄機と結婚した姉が、先日、里帰りした。
 空気清浄機と離婚したのだ。
 一日じゅう、ため息をついている。
 そのため息は、朝も夜も、ずーっと、ミントの良い匂いがする。

1963年

 夏が来た。蚊が出始めた。母が、押入から、一本の腕を出した。そしてそれを軒先に吊るした。
 蚊はその腕に集まり、血を吸う。この腕のお陰で、毎夏、我が家の人間は蚊に刺されない。ありがたいことである。
 以前、母に、この腕は誰の腕なのかと尋ねたことがあるが、母は寂しそうに笑って答えてくれなかった。
 だが、一度、母が、腕に、自身のお尻を触らせているのを見たことがある。きっと悪い関係ではないのだと思う。

土砂降り

 夜中、ニュース番組で、アナウンサーが、天気予報を読み上げた。
「明日は晴れです」
 画面に映った天気図には、雨のマークだらけだった。どこにも晴れのマークはなかった。
「明日は晴れです」
 翌日は、そのアナウンサーの母親の、命日だった。その日、アナウンサーは、土砂降りの中、傘もささずに、母親の墓参りをした。涙が雨と混じった。

冬のシケモク

 冬の夜、ホームレスはシケモクを拾い集めていた。ある程度溜まったので住処へ戻ろうとした時、電柱が目に入った。
 そこには一枚の紙が貼られていた。それは尋ね人のポスターだった。
 ホームレスの息子と同年代の中年男の情報が載っていた。「失踪時の持ち物」と書かれた欄に、「タバコ、ライター」と書かれていた。
 どうやらこの男はタバコを吸うらしい。
 タバコに寄ってくるかもしれない。
 ホームレスは拾い集めたシケモクを、電柱の足元に数本、置いて、住処へ帰った。

優しさは細い棒

 近所の歯医者に行く。
 道を歩く。
 歯医者に近づいてくる。
 じゃり、じゃり。足元で音がする。
 歯医者に近づいているので、地面に歯が落ちているのだ。
 じゃり、じゃり。その音を聞くと、もうすぐ歯医者に着くとわかって、安心する。
 歯の上を歩くので、靴の溝に、歯が挟まる。
 だが、大丈夫だ。
 歯医者の待合室に、細い棒がある。それで、挟まった歯を取り除くのだ。
 優しい歯医者だと思う。
 ただ、自分から抜かれた歯が、他人に踏まれるのは少し嫌だと思っている。