2012-01-01から1年間の記事一覧
夜道を歩いていた。繁華街を抜け、学習塾や民家が立ち並ぶ静かな通りに出た。道の両側には、弱々しい街灯の灯りが真っ直ぐに続いていた。辺りには誰もいなかった。 肌寒さを感じ、ポケットに手を入れた。季節は秋から冬に移ろうとしていた。冷えた小銭が指先…
夕飯の時、些細なことで女房と口論になった。一応謝ったのだが、女房はベッドに入ってからも、いつまでもめそめそ泣いていた。なだめたが益々調子に乗って泣きわめくので、呆れて布団をかぶった。 次の日目が覚めると、女房は水たまりになっていた。中を覗く…
私は病の床に臥せていた。布団は臭く、体中が痛かった。自分の病状も、いつからこうしていたのかも思い出せなかった。もしかしたら、生まれたときから病気だったのかもしれなかった。 カーテンの隙間から、日の光が差し込んでいた。朝だろうか、それとももう…
エレベーターの扉が開くと、黒くて大きな馬が眠っていた。壁には蔦が絡まり、床には木の根が張り巡らされていた。湿気と草のにおいが漂ってきた。嫌な予感がしたが、疲れているのでエレベーターを使うことにした。馬に触れないようにそっと乗り込み、寝息に…
父に新しい心臓を買ってもらった。医者の薦めもあり、今使っているものより少し高いものを選んだ。どうせすぐに古くなってしまうので何を買っても一緒なのだが、むきになって反論し困らせる必要もないので、父の言うとおりにした。 買ってもらった心臓を部屋…
好きな女の子の縦笛を舐めるために、夜の教室に忍び込んだ。人気のない教室は独特のにおいがした。夜の空気に晒されて耳や頬が冷たくなっているのがわかった。 好きな女の子のロッカーを開け、縦笛を取り出す。ビニール製のケースの皺の一本一本が月明かりに…
毎朝部屋の窓辺に小鳥が集まってくる。人に慣れているので、羽や背中を触ってもちっとも逃げようとしない。胸を指でさわさわと撫でてやると、うっとりとした表情になり、喉をころころと鳴らす。 よほど気持ちいいらしく、その顔はやがてどろどろに溶けてくる…
ポストに案内ハガキが入っていた。耳から甘い蜜が垂れてくる女の人からだ。とうとう蜜を舐めさせてくれるのだという。すぐに行列が出来た。しかし僕は関心がなかった。冷やかしにいくと、列の最後尾に、スーツ姿の父が並んでいた。会社に行っているはずの時…
人間ドックを受けたら、胃の中に錨が見つかった。浮気相手に愚痴ると、彼女はにんまりと笑い舌を出した。赤い舌の上に船が転がっていた。
デリヘルで遊園地を呼んだ。こういうものを利用するのは初めてだった。そわそわしながら待っていると呼び鈴が鳴った。 電話で注文したとおりの遊園地だった。若くはないが魅力的な目をしていた。厚手のセーターの下で、ゴツゴツとした鉄の塊が静かに息をして…
僕の部屋には火星人が住んでいる。普段は壁紙の中にしれっと隠れているが、僕の心が薄く延ばされている時などに、気まぐれに壁から出てくる。 火星人は肩で息をしながらよたよたと部屋を歩き回る。奴は頭が異常に大きい。そして、その頭の中に、頭の数倍も大…
巨大な蝶に、庭の花々を吸い尽くされた。気がついたときには、丹精込めて育ててきた瑞々しい花々はすっかり萎れ、色とりどりの老婆の乳房があちこちにぶら下がっているような様相を呈していた。思わず「おい!」と怒鳴ると、蝶がこちらを振り向いた。まだ若い…
雨が上がったばかりの道を歩いていたら、影が水を吸ってぶよぶよになってしまった。 仕方なく一度家に戻ろうとした瞬間、膨らんだ影の先っぽを、かき揚げみたいな顔のおばさんが乗った自転車が踏みつけていった。 ぶしゅ、と音がして小さな穴が空き、影がど…
「じいさん、おはよう」 「おはよう」 「今朝は寒いな」 「晴れてるのにな」 「じいさん」 「何だい」 「何でじいさんは牛小屋なんかで寝てるんだ?」 「家族が僕を、家から追い出したんだ」 「何があった」 「それより牛乳をくれよ」 私はじいさんに瓶の牛乳…
何だか体の調子が悪い、と朝から病院に行っていた妻が夕方、胸の真ん中にドアノブをつけて帰ってきた。 「医者がつけろって言うから」 妻は照れくさそうに笑った。 「開けてみた?」 と尋ねると、 「何だか恥ずかしくて」 と要領の得ないことを言って寝室に引…
(手術室。) (手術台に患者の男、腹を開かれている。男の周りに初老の執刀医と数人の助手。黙々と器具を動かしている。患者の頭の横には心電図を示す機械が据え付けられており、規則正しいリズムで波打っている。) (と、手術用の照明がジジジと音を立て…
用事のついでに妹の墓参りに行ってきた。 夕方の墓場に人影はなかった。妹の墓石の上で、太った猫が眠っていた。線香を供え、刻まれた名前を読み、何か声をかけようとしたが、何も思いつかなかった。 墓石に触れてみると、ひんやりとした心地よさが伝わって…
恋人ができないのは顔のせいだと思い、整形手術を受けることにした。 「古い顔をまるごと剥ぎまして」 「ええ」 「その上に新しい顔を貼り付けます」 「合理的ですね」 「科学の勝利です」 手術は見事成功し、美しく新しい顔が貼り付けられた。 「素晴らしい…
外は晴れていたが、地下鉄におりると雨が降っていた。 構内には、私のほかに誰もいなかった。雨はもうずいぶん前から降っていたらしく、床も壁も水浸しで、歩くたびに靴の中がびしょびしょになってしまった。そのうえ傘も持ってきていない。せっかくの休日な…
(明け方。棚とベッドだけの簡素な部屋。ベッドには一人の女が眠っている。棚には様々な動物のフィギュアが並べられている。窓枠にはコンビニのおでんの容器があり、水の入ったコップがあり、遺書があり、携帯電話があり、カーテンの隙間から漏れる光が、そ…
今勤めてる病院に、いわくつきの病室があるんですよ。 3階の6人部屋の一番奥に古いベッドがあって、パッと見は普通の、何の変哲もないベッドなんですけど、掛け布団をめくると、シーツの上に、長い髪の毛の束が落ちてるんです。 最初見つけたときは誰かのイ…
草一本生えていない大地に塔が建っていた。 そのてっぺんの部屋に、王様の格好をした私が佇んでいた。 きらびやかな装飾の服は窮屈で、床も壁も冷たかった。開け放たれた窓から風が吹き込んできた。鉄と火薬のにおいがした。 大地も空も黒っぽくくすんでいて…
蛇に咬まれた。あと1日の命だという。 「大変お気の毒な話なので」 医者がいくらかの金を手渡してきた。 「これは?」 「好きに使ってください。有意義な余生を」 「使い道が見当たりませんので」 私は金を丁寧にたたみ、医者の手に返した。医者は困った様子…
毎日夕方になると、町の中心を通る川の水面に、小さな靴が現れる。 水底から浮き上がってくるわけでもなく、空から落ちてくるわけでもなく、気がつくと水面に靴だけがちょこんと置かれている。ピンクの子供靴で、側面に相当古い漫画のキャラクターが描かれて…
解剖室の天井から吊られた裸電球の周りを、もやもやした黒い塊が飛び回っていた。若い監察医助手はメスを握ったままの手を止め、老監察医に尋ねた。 「怖くないんですか?」 老監察医は 「慣れたね」 とつぶやき、死体の頭を軽く小突いた。黒い塊がふっと消え…
地球儀に蟻がたかっていた。 慌てて水洗いして、殺虫剤をかけた。においを嗅いでも特に何もにおわない。ジュースやお菓子をこぼした記憶もない。 首をかしげながら足元を見ると、追い払った蟻たちが、ちらちら振り返ってこちらを見ていた。 数日後、前回より…
最初の記憶は、保育器のなかでシーツの皺の数をかぞえていたことです。 次の記憶は、隣の保育器にいた女の子と目が合ったことです。 3つめの記憶は、金色の獅子が保育器の間をのっしのっし歩いていたことです。 4つめの記憶は、金色の獅子が隣の女の子のにお…
開業したばかりの果物屋に、小綺麗な母子がやってきた。 「すみません」 「何でしょう」 「息子のおちんちんを切り落としてしまったので」 「ええ」 「代わりに何か、いい物ないかしら」 「はぁ」 少し考えてからバナナを差し出すと、母親に 「あなたふざけ…
ママはパパを誰にするかまだ決めていない。 うちのリビングには男の人が100人いて、みな裸のまま正座してママの返事を待っている。 ぼくの誕生日に、ママはケーキを作ってくれた。ぼくはケーキをたくさん食べた。ママはにこにこしてそれを見ていた。 ぼくは…
二度と会わないであろう人と、今日も会わなかった。 雑な晩飯を食べながら、雑な頭でそんなことを考えていた。 尻に力を入れたら、雑な屁が出た。窓を開けて確かめるのは面倒だが、空にはきっと雑な月が出ていることだろう。