超短編小説 トモコとマリコ

超短編小説を中心とした短い読み物を発表しています。

蜂とバクダン


 ベランダに蜂の巣ができてしまった。すぐにでも取り除いてしまいたかったけれど、刺されるのが怖かったし、この間までいっしょに住んでいた頼りになる男は病気で死んでしまったから、どうすることもできなかった。


 仕方なくそのままにして家を出た。
 コンビニで朝食を買って戻る途中、若い男とすれ違った。非常に暗い面持ちで、黒い箱のようなものを両手で抱えるようにして、朝の路地をひたひたと歩いていた。男は迷路から出られなくなった人のような足取りで、時々立ち止まってはどこか遠くを眺めて、またふらふら歩き出すというのを繰り返していた。
 その男を近くで見ると、死んでしまった男にとてもよく似ていた。私は、死者が自分の骨壷を持ってさまよい歩いている話を思い出して少しおかしくなった。しかしそんな話があるのかどうかは知らなかった。


 家に帰ってテレビを点けると、通販番組が流れていた。
 それを見ながら、さっきすれ違った男の顔を浮かべながら、死んでしまった男のことをいろいろと思い出した。私は死んでしまった男のことが大好きだった。すると自然に涙が溢れてきて、それと同時にベランダの蜂のことも思い出されて、とても憂鬱な気分になった。
 その時、間抜けな音とともに、画面にテロップが現れた。


 ニュース速報:バクダン


 すぐに画面が切り替わり、どこかの町の路地が映し出された。地面が灰色ですかすかしていて、家や商店がまばらに建っているだけの変な道だった。カメラはしばらくそこいらをうろうろしていたが、ある場所で動きを止め、遠くから歩いてくる人影を捉えた。記者の声が上ずって大きくなった。その声に反応して、ベランダの蜂が騒ぎ出したのがわかった。
 人影はどんどん大きくなって、さっきすれ違った男になった。記者が何かわからないことを叫んだ。再び間抜けな音がして、テロップが激しく点滅した。


 男が持っている箱がバクダンなのか、男自身がバクダンなのかはわからなかったが、男はやっぱり死んでしまった男によく似ていた。男はカメラの前を通り過ぎると、大きな木のある角を曲がって、寂しい墓地に入っていった。なすりつけたような木々の影があちこちで揺れていた。
 男は箱を抱えたまま、小さな墓の前に立ち、しばらくそのままでいた。私の胸の底に冷たい風が流れた。
 男は墓の前で突っ立っているだけだったが、墓の下に眠っているのが、男にとってとても大切な人であることが手に取るようにわかった。
 カメラはぴくりとも動かず男を見つめ続けていた。記者の方はずっと喋っていて、男が鼻をすすったり首を動かしたりするたびに、いちいち変な悲鳴みたいなものをあげていた。窓の外の蜂たちはますます騒がしくなり、ガラス戸にぶつかって死んでしまったものもいた。


 男はとつぜん墓に向かって涙を流すと、箱を抱えたままカメラの方にすたすたと近づいてきた。迷いのない足取りだった。箱の隙間から、青いような色の光が漏れ出していた。その光に照らされた男の顔に濃い影が伸びていた。カメラがカタカタと揺れ、記者は喉が潰れるのではないかと思うくらいの叫び声をあげていた。
 窓の外の蜂たちがいっせいにガラスに体当たりした。
 私は、男が死んでしまうのだと思った。
 死んでしまった男をもう一度失うかと思うととても悲しくて、思わずテレビの電源を切ってしまった。すぐに遠くから地鳴りのような音が響いてきて、熱い風が窓の外を通り過ぎた。気づくと、抜け殻のようになった蜂の死骸が、ベランダの床を埋め尽くしていた。