超短編小説 トモコとマリコ

超短編小説を中心とした短い読み物を発表しています。

虹色の花と屋上の月

 管理しているマンションの屋上に、虹色の花が咲いた。
 はじめは人差し指くらいの大きさだったが、朝見るたびに背が伸びていた。どうやら夜の間に月明かりを吸って大きくなるらしかった。珍しいので鉢に移そうかとも思ったが、勝手に大きくなるので育てがいがないし、かといって抜いてしまうのももったいないような気がしたので、結局放っておくことにした。

 虹色の花がちょうど人の背丈くらいになったある日の晩、マンションの近くを通りかかると、駐車場に大勢の人が集まって屋上の方を見つめていた。何事かと思い目を向けると、虹色の花が根を器用に動かし、屋上を歩き回っていた。見物人は写真を撮ったり、拍手をしたりしていた。
 いつの間にか大きくなっていた親戚の子を見るような気持ちでその様子をぼーっと眺めていると、虹色の花はおもむろに根をフェンスに絡ませ、そのままのぼり始めた。見物人の間にどよめきが広がった。虹色の花は、どうやらフェンスを越えようとしているらしい。
 見物人は警察を呼べとか、まだ何をするつもりかわからないんだからそれは早いとか、好き勝手なことを言っていたが、そのうちの一人が私に気づき、管理人なんだから何とかしろと悪態をついた。

 仕方なく屋上に行くと、変に澄んだ色の月明かりが屋上にまんべんなく当たり、絨毯でも敷いてあるかのように見えた。虹色の花はすでにフェンスの向こうにいて、屋上の縁に危なげに立ちながら、大きな花びらをしきりに動かしていた。それは何かを訴えているようにも、飛び降りるタイミングを探っているようにも見えた。
 しばらくどうしたものかと悩んでいるうち、自分の管理する建物で飛び降りが起きてしまうと、色々なことに差し支えが出てしまうことに気づき、私は急に慌てた気持ちになって、具体的な考えは何も固まっていなかったが、おそるおそる花に近づくことにした。早まるなとかそういう言葉でもかけようかと思ったが、説得が通じるのかわからなかったし、何より近づくたびに月明かりが赤っぽくなっていったので、これはどのみちろくなことにならないだろうと思って口をつぐんでいた。それでとうとう虹色の花のすぐ後ろまで来たが、そこからどうするべきかということについては、結局何も浮かばなかった。
 まごまごしていたら、そのうち見物人の間から、怒号のようなものが聞こえてきた。中には笑い声のようなものも混じっていた。

 私はむしょうに腹が立ってきた。しかしどうすることもできなかった。半ば自棄になり、どんな結果になろうとどうせ私のせいになるんだから、いっそのこと背中を押してやろうかなどと考えていた。
 すると、とつぜん、虹色の花が何の脈絡もないタイミングで飛び降りてしまった。見物人の間からいろいろな悲鳴が聞こえてきた。
 慌てて下を覗くと、虹色の花は下の方から吹き上げてくる風に二度三度揉まれたあと、空中で弾けながらバラバラになり、しまいには全て粉になって消えてしまった。痕跡も気配も何も残らなかった。不思議な沈黙が辺りを包んだ。遠くで犬が鳴いていた。見物人たちはしばらくじっとしていたが、そのうち小さな泡がぷつぷつと消えるようにいなくなり、夜の闇が思い出したように駐車場を覆った。
 あとは変な色の月明かりと、私だけが屋上に取り残され、朝が来るまで風も吹かなかった。