超短編小説 トモコとマリコ

超短編小説を中心とした短い読み物を発表しています。

廊下の闇と指の傷

 赤の絵の具が余ったので、指にいたずら描きをした。小さな切り傷から、血を一筋垂らしてみる。なかなかの出来映えだと思ったが、明るい蛍光灯の下で見るとやはりただの絵だ。
 眺めていると、ふいに部屋の電気が消えた。廊下に足音が響き、ドアの外から父の声がした。「町じゅう停電してるみたいだ」。父の足音が遠ざかり、部屋が本当にしんとなった。
 カーテンを開けると、町は闇にくるまれていた。空には灰雲が立ちこめていて、月明かりも見えなかった。時間も遅かったので、このまま寝てしまおうとベッドに潜ったが、なかなか寝付けなかった。

 そのうち、ふと指が痛み出した。闇に慣れてきた目を凝らしてみると、絵の具で描いた傷の周りの肉が膨れ、血の筋がいくつも流れていた。
 驚いてベッドから飛び起き、手探りでドアを探して、廊下に出た。物音一つしなかった。家族の名前を呼んだが、もう寝てしまっているのか、反応は無かった。
 そのうち、指から流れた血が、手首にまで垂れてきたのがわかった。血を止めなければと思い、とりあえず空いている手で指をぎゅっと掴んだ。ぬるぬるとした温かい感触が手の中を這っていった。
 風呂場の水道で血を洗い流そうと、廊下を歩いていくのだが、廊下の闇は先に行くほど濃くなっていき、闇が濃くなるだけ傷口が開いていくようだった。
 やがて血が肘まで伝い、滴になって床に落ちる音がした。足で踏むと冷たかった。歩いているうちに、廊下が下の方に曲がっていき、ゆるやかな坂になって、足下に落ちた血が細い線を描きながら闇の中に消えていった。意識が遠のき、風呂場の場所がわからなくなっていた。体じゅうの血が抜けて出てしまったのだと思った。ピチャピチャという音が長い廊下の先で何度も響いていた。

 ふいに町の方が何となくざわざわしてきて、遠くで家族の声がした。廊下の電気が一斉に点き、闇が洗い流された。指先を見ると傷はやっぱりただの絵だった。けれど、廊下のシミはしばらく消えなかった。