超短編小説 トモコとマリコ

超短編小説を中心とした短い読み物を発表しています。

奥田さんと背中の文字


 小学校の時に、同じクラスに奥田さんという女の子がいた。奥田さんは、暗く、引っ込み思案だった私にとって唯一の友人と呼べるクラスメイトで、活発で頭も良く、クラスの人気者だった。そんな子がどうして私と仲良くしていたのかはわからないが、私は奥田さんのことをとても尊敬していて、いつも「ああいう女の子になりたい」と思っていた。
 しかし、同時に、奥田さんは独特の違和感をまとっている子だった。奥田さんを見たり、話したりするたびに、奥田さんという存在が不自然なことであるかのように思われた。違和感の正体が何なのかはわからなかった。それが余計に不気味だった。私は奥田さんが好きだったが、それと同じくらい彼女のことが苦手で、腹の内でそんなことを考えながら奥田さんと友達付き合いをしている自分が恥ずかしくなったりもした。


 ある日の帰り道、二人で公園を歩いていると、奥田さんが不意に、近く転校することを打ち明けてきた。奥田さんがいなくなるのを素直に悲しいと思う気持ちと、違和感の正体を突き止められないままいなくなられては困るという気持ちとが、いっぺんに湧いてきた。そんな私の顔を見て、奥田さんは「手紙書くね」と、優しいが的外れなことを言ってきた。
 私は勇気を振り絞り、転校する前に奥田さんの家に泊まりに行きたいと言った。奥田さんは少し複雑な表情をした。断られるとばかり思っていたが、意外にも奥田さんは「いいよ」と答えた。


 奥田さんはアパートの一室に、お母さんと二人で暮らしていた。玄関のドアを開けると、小さなキッチンと、その向こうに狭いリビングが見えた。リビングのガラス戸に、夕日で黄金色に染められた町並みが塗り込められていた。
 奥田さんのお母さんが帰ってくるまで、テレビゲームをして遊ぶことにした。その間も、やっぱり違和感は拭えなかった。それどころか、ますます強くなるようだった。奥田さんは空気を察し、色々楽しい話をしてくれたが、言葉が空回りしている感じがして、いまいち盛り上がらなかった。私は自分から言い出したことにも関わらず、泊まりに来たことを後悔し始めていた。

 7時を回った頃、奥田さんのお母さんが帰ってきた。とても綺麗な人だった。顔は奥田さんにはあまり似ていなかったが、話す仕草や声の方が何となく似ていて、やはり親子なのだと思った。
 夕飯はとても豪華だった。奥田さん自身も驚いていたのがおかしかった。奥田さんのお母さんは話も上手く、私を歓迎してくれていることが伝わってきた。何より、お母さんといっしょにいるときの奥田さんは、ちっとも違和感を感じなかったことが嬉しかった。
 気分が高揚していた私は、奥田さんに「いっしょにお風呂に入ろう」と提案した。途端に、奥田さんとお母さんの顔が曇った。私は調子に乗って余計なことを言ってしまったのだと思った。
 長い沈黙が流れた。謝ろうと思ったが、喉が詰まって声が出なかった。風でガラス戸がカタカタ鳴った。
 ただおろおろしていると、奥田さんがお母さんを少し見つめたあと、笑顔で「いいよ」と答えた。お母さんも笑っていたが、何かを諦めている顔のようにも見えた。私はとりあえずほっとして、夕飯の残りをたいらげた。


 奥田さんの家の風呂は狭かった。真四角に近い浴槽と、石鹸やシャンプーがごちゃごちゃ置いてある棚のほかは、二人が入るとぎゅうぎゅうになってしまうほどのスペースしか残されていなかった。
 奥田さんは壁の方を向き、白い背中をこちらに見せた。「どうしたの?」と聞くと、「背中流してよ」と答えた。優しいが冷たい声だった。壁に、オレンジっぽい変な色の電球に照らされた、奥田さんの小さな影が寄りかかっていた。奥田さんの顔は影の中にすっぽり入ってしまっていて、どんな表情をしているかはわからなかった。

 石鹸を泡立てたスポンジで奥田さんの背中を洗っていると、奥田さんの背中がすごく汚れているような気持ちがしてきた。そこで少し力を込めて奥田さんの背中をこするうち、背中の真ん中辺りで何かが剥げるような感触があった。お湯で泡を流すと、背中に何やら文字が浮き出ていた。
 奥田さんに悪いと思いながら、文字を読んだ。それはわずか数文字だったが、奥田さんの違和感の正体について書かれていた。なるほどと思い、満足して顔を上げた。すると奥田さんが何か言った。はっと気がつくと、奥田さんの影がびっくりするくらいの大きさになって、風呂場を埋め尽くしていた。