超短編小説 トモコとマリコ

超短編小説を中心とした短い読み物を発表しています。

two of us

 リエは凛としてリボンを結ぶ。
 リエは凛として荷物を運ぶ。
 リエは凛として妹を抱き上げる。
 リエは凛として地図を広げる。

 リエは寝床で鼻をかみながら、スケッチブックにまだ見ぬあの港町の絵を描く。

 リナは理由なく笑い出す。
 リナは理由なく涙をこぼす。
 リナは理由なく井戸を覗く。
 リナは理由なく糸をつまんで、リエのリボンをほどいている。

 リナはリエの背にもたれ、ぐらぐらする歯をいじりながら、港町の空を草の汁で塗りつぶす。

くらげの看護婦さん

 真夜中の水族館、くらげの看護婦さんが、水槽の柔らかい砂の上をとことこと歩いていく。
 年老いた鮫の腹の音を聞くための聴診器と、絵を描くことが趣味の蟹の子のための点滴のパックと、マンボウのお母さんに飲ませるためのカプセルを詰めた鞄を片手に持って、温かい砂の上をとことこと歩いていく。

 水族館はもうとっくに閉まっていて、大ガラスの向こうには誰の姿も見えない。
 ひっそりと静まり返った薄闇が、ねばついているように見えるのは、昼間の混沌が沈んでいるからだろうかと、くらげの看護婦さんはぼんやり考える。
 そしてふいに東京に初めて来た日のことを思い出す。駅の汚い床、朝から降り続けていた雨、見知らぬ他人の群れ、それから……。

 ぼんやりとしていたくらげの看護婦さんは蛸壺につまずく。咄嗟に鞄をかばうように抱え込んで倒れたくらげの看護婦さんを、柔らかい砂は優しく受け止め、擦り傷一つなく彼女は立ち上がる。
 眠らない魚たちはくらげの看護婦さんに微笑み、彼女は照れくさそうに会釈して再び歩き始める。
 鼻の頭にくっついた砂を指で拭う時、彼女はかすかに潮の香りを感じる。
 可愛いお尻に、寝ぼけた蛸がぶら下がっていることには、まだ気づいていない。

影と殺虫剤

 病院の待合室でぼーっと座っていたら、壁にかかった私の影の胸の辺りが、少しずつほどけて、壁の中から誰かが出てきました。
 怖くて動けなかったので、通りかかった看護婦さんに泣きついたら、影のほどけたところに殺虫剤をかけてくれて、そうしたら影が元に戻って、胸もすっとしました。
 待合室に小さな拍手が響いて、看護婦さんは照れたような顔をしていました。

Girl

 照明が焚かれ、遥の肌があらわれ、遥の鼻があらわれ、遥の歯があらわれ、遥の羽があらわれる。

(客席はめらめらと燃えている。)

 ショーが始まり、遥は舞台をぶらぶら歩いていって、はるかの果てに腰を降ろす。

(客席はしんと静まり返っている。)

 照明が消え、はかない肌が消え、はかない鼻が消え、はかない羽がたたまれ、遥の話は忘れられる。

 ショーが終わり、遥は舞台をぶらぶら歩いていって、はるかの果てに恋を捨てる。

抜け殻

 部屋の隅に抜け殻を残して、恋人が去ってしまった。

 カサカサの恋人の抜け殻を、そっと壁に立てかけた。

 夜までぼんやりと空を眺め、爪を切り、そうしたらもうすることがなくなったので、一人布団に潜り、抜け殻を眺めながら眠ることにした。

 抜け殻の足の方にかすかに溜まった恋人の声が、寝入りばなの耳にさびしく聴こえる。

酔いと呪い

 そいつが死んだ時、一番の下っ端だった俺の耳の穴の中に、そいつの死体を埋めることになった。
 アル中だったそいつは、死体になっても酒瓶を握りしめて離さなかったので、仕方なくそのまま埋めたのだが、それ以来寝返りをうつたびに、瓶に残った酒が俺の頭の中にちょろちょろと流れてくる。
 俺がいつも酔っているのはそのせいなんだ。
 あの馬鹿。