超短編小説 トモコとマリコ

超短編小説を中心とした短い読み物を発表しています。

ベルトコンベアと笑顔の欠片

 バスを乗り継いで職場につくと、私は衝立で仕切られた無数のブースの中から、私の名札がぶら下げられた椅子に座る。目の前には色紙ほどの大きさの鏡があって、足元にはベルトコンベアが流れている。

 仕事が始まる時間まで、私は鏡を磨くことにしている。他のブースからは、お菓子の袋を丸めたり、ペットボトルのキャップを開けたり、爪を切ったりする音が聞こえてくる。ここに勤めて半年になるが、他のブースにどんな人がいるのか、私は全然知らない。

 始業のベルが鳴ると、私は目の前の鏡に向かって、にっこりと笑う。そのままじっとしていると、鏡にその笑顔が張り付く。きちんと笑顔が張り付いたら、慎重に鏡から笑顔を剥がし、箱に詰めて足元のベルトコンベアに流す。あとはこれを終業のベルが鳴るまで、ただ繰り返せばいい。

 ベルトコンベアがどこに続いているのか、私の笑顔がどこに出荷され何に使われているのか、そんなこと私は全然知らないが、ノルマも少ないし、給料も悪くないし、他人と話す必要もないので、この仕事はとても気に入っている。

 ところがある日、何となく魔が差して、鏡から剥がした笑顔を一枚、制服のポケットに突っ込んで、こっそり持ち帰ってしまった。最初はちょっとわくわくしていたのだが、帰り道、次第に何だかものすごく悪いことをしているような、気持ちになってきた。

 それで、いつもは素通りする公園に立ち寄り、捨ててしまうことにした。捨てる前に、ベンチに腰かけて、くすねてきた笑顔を広げて見てみた。街灯の薄ら寒い光に照らされたそれは、眩しくて可愛くて、私の顔じゃないみたいだった。

 どうしてこんなものを、持ち帰ってきてしまったのだろう。

 いたたまれなくなって顔を上げると、目の前の池に鯉が泳いでいた。私は自分の笑顔を細かくちぎり、池に撒いた。笑顔の欠片が落ちるたび、水面が揺れて波打った。鯉たちはふらふらと近寄ってきて、はじめ興味深そうに鼻の頭で笑顔の欠片をつついていたが、やがて飽きたのかぷいっと顔を背けると、結局一口も食べないまま、闇の中に消えていってしまった。

 物音一つしない夜の公園で、笑顔の欠片が薄汚れた水を吸って膨らみながら、ゆっくりと池の底に沈んでいくのを、私はいつまでも見つめていた。