超短編小説 トモコとマリコ

超短編小説を中心とした短い読み物を発表しています。

照れ

 実に立派な形の入道雲が浮かんでいたので写真に収めようとした時、何か違和感を覚えた。よく目をこらすと、入道雲の傍に、しゃもじが一本浮かんでいた。あの入道雲を盛る際に使われたものだろう。「しゃもじ、忘れてますよ!」空に向かってそう叫ぶと、一瞬で雨雲が空を覆い隠し、咳払いみたいな雷を一発鳴らした後、やはり一瞬で消え去った。再び現れた青空には入道雲だけが残されていて、しゃもじは跡形もなくなっていた。何だか、余計なことを言ってしまったと思った。写真は撮らずに帰った。

賽銭箱

 近所のさびれた神社を何となく訪れ、古びた賽銭箱に小銭を投げ入れたら、妙な音がした。賽銭箱の中を覗き込むと、そこには小銭ではなく義眼がぎっしり。鈴を鳴らし、手を合わせている最中、ずっと賽銭箱の中から視線を感じていたから、本物の目玉も混じっていたのかもしれない。願ったことはもちろん世界平和だ。

死んだ風

 子どもの頃、道ばたで死んだ風を見つけた。落ちていた棒でつついてみると、死んだ風はさらさらとさびしい音を立てた。そっと持ち上げて顔に当ててみたが、ちっとも涼しくなかった。死んだ風をカラスがねらっていたので、カラスに持ち去られてしまう前に、足で踏み砕いて生きている風に混ぜてその場を立ち去った。その日は学校から絵日記の宿題が出ていたけど、ぼくはなぜか死んだ風のことは書かなかった。

のぼり

 近所の古びた薬局の店先には、「元に戻る薬」とだけ書かれたのぼりが立っている。ある雨の日、そののぼりを、一匹の蛙がじっと眺めているのに出くわした。……もう元に戻って蛙なのだろうか、それとも蛙から別のものに戻るつもりなのだろうか。いずれにせよ、雨は心地よく降り続いていた。

くちばし

 ある朝起きたら、のど仏のあった場所に、鳥のくちばしが生えていた。黄色くてかわいいくちばしだ。このくちばし、普段はうんともすんとも言わないくせに、俺が他人の悪口を言っている時だけ、ぴーちくぱーちく鳴きやがる。いさめているのか、それとも賛同しているのか。いまだによくわからないまま、今日も俺は昼飯のパンをちぎってくちばしに与えている。

時給

 お昼頃、朝から降り続いていた雨がふいにやんだ。空を見上げると、雨雲から縄ばしごが垂れていて、そこから次々と作業服姿の人たちが降りてくるのが見えた。作業服の人たちは地面に降り立つと、めいめい牛丼屋や定食屋に入っていき、午後1時ちょっと前に再び現れて、縄ばしごを使って雨雲の上に消えていった。それからほどなくして雨が降り始めた。家に帰ってネットで調べたら、ファミレスの時給と同じくらいもらえる仕事らしい。高いのか安いのかよくわからなかった。