超短編小説 トモコとマリコ

超短編小説を中心とした短い読み物を発表しています。

兎雲と雨

 今日は、新しいお母さんがやってくる日なのだが、朝から待っているのに、足音も聞こえてこない。もう待ちくたびれた。スケッチブックに新しいお母さんの顔をいくつも描いてみる。どれもしっくり来ない。

 台所の方から、換気扇が回る音が聞こえてくる。お父さんが煙草を吸っているのだと思う。

 いくつも描いたお母さんの顔を消しゴムで消していると、窓の外にふと気配を感じた。見ると、眠る兎のかたちをした雲が、淡い夕空にぽつんと浮かんでいた。兎はよく肥えた体をぎゅっと丸め、すうすう寝息を立てている。

 気持ちよさそうだ。

 ぼーっと眺めていると、市役所が流す五時のチャイムが聞こえてきた。そこで新しいお母さんのことを思い出した。そうだ、今日は、新しいお母さんがやってくる日なのだが、朝から待っているのに、足音も聞こえてこない。でも、きっともうすぐ来てくれる。

 そう思った矢先、新しいお母さんが来る方角の空から、見たこともない鳥が群れをなして飛んできた。はらはらして見ていると、鳥の群れは案の定、兎雲を見つけてしまった。

 群れは輪になって兎雲を取り囲み、けたたましい鳴き声とともに襲い掛かった。兎雲は別に抵抗する風でもなく、ただされるがままに任せていた。食いちぎられる肉の隙間からは、雨粒が滴っていた。

 兎雲をむさぼっている間、鳥たちは一言も発しなかったので、辺りは変に静かだった。

 気がつくといつの間にか隣にお父さんが立っていて、襲われる兎雲をいっしょに眺めていた。そこで新しいお母さんのことを思い出した。

 しかし、なるべく忘れないようにしようとしたそのとき、鳥の群れがじわじわと崩れ、再びけたたましい鳴き声を響かせて飛び去った。夕空の真ん中には、兎の骨だけが残された。細くて、柔らかい感じのする、頼りないような骨だった。

 お父さんが何とも言われないため息をついた。煙草臭かった。

 兎の骨に少しこびりついた肉からは、まだわずかに雨粒がぽたぽた垂れていて、僕はあの雨が降った場所に行ってみたいと思ったが、お父さんが突然カーテンをしゃっと閉めたので、驚いて言い出せなくなった。お父さんは背を丸め、台所に戻っていった。

 そのあとカーテンを少し開けて、窓の外を見てみたが、兎の骨は、空の端からじわじわと染み出てきた夜の闇に飲み込まれて見えなくなっていた。新しいお母さんのことなどすっかり忘れていた。