超短編小説 トモコとマリコ

超短編小説を中心とした短い読み物を発表しています。

溜まる

 朝起きると、天井に、ゆうべの夢に出てきた美女たちがふわふわ浮かんでいた。あまりに嬉しい夢だったせいだろう、消えずに溜まってしまったらしい。人通りを確かめて、そっと窓を開ける。窓から夢の美女たちが逃げていく。誰にも見られてないだろうな、と一応もう一度窓の外を確認すると、近所のおばちゃんとばっちり目が合った。おばちゃんはにやりと笑い、「最後に出てきた娘、私の若い頃にそっくりだよ!あはははは!」と言い放った。朝から嘘みたいにテンションが下がった。

たて

 公園を散歩していると、とあるベンチに、「かみさま すわりたて」の貼り紙が貼られていた。「ペンキ ぬりたて」は見たことあるが、こいつは珍しい。座ったらどうなるんだろうと思い腰を下ろしてみると、次の瞬間ベンチが炎に包まれ、思いっきり尻を火傷した。お気に入りのジーンズを一本ダメにしてしまった。軽はずみな俺にバチが当たったのかもしれないが、せめてどんなかみさまがすわったのかは書いておいてほしかった。

夕焼けの歌

 あれは小学生の頃、夕日を見ながらの帰り道、その日の夕日はとてもきれいだったけれどなぜかなかなか沈まなくて、空の下の方にじっととどまっているままだった。ぼくは首をかしげつつ空き缶を蹴っていた。すると川辺の道に何か落ちているのを見つけた。それは一本の鍵だった。夕焼け色のビニールテープが巻かれた鍵だった。夕焼け色。ぼくは沈まない夕日とこの鍵とはもしかしたら何か関係があるのかもしれない、と思いながら鍵を交番に届けた。交番のおまわりさんはぼくをとてもほめてくれた。それからおまわりさんはどこかへ電話をかけた。「この鍵を落とした人がもうすぐ来るから、ここで待っていればお礼がもらえるかもしれないよ」おまわりさんはそう言ってニヤリと笑った。五分もたたないうちに作業服姿のおじさんが交番にかけこんできた。おじさんは鍵をうけとると、ぼくをとてもほめてくれた。大人のひとに二度もほめられてぼくは有頂天だった。おじさんは「お礼がしたいからちょっと待っててね」と言い残し再び交番を出ていった。ぼくはおまわりさんと顔を見合わせてニヤリと笑った。おじさんが出ていってからすぐ、遠くでカチャリと聞こえて、それから空が暗くなりはじめた。交番の窓から夕日がゆっくり沈んでいくのが見えた。「やっぱりあの鍵と夕日は関係があったんだ」とぼくは思った。おじさんが交番に戻ってきて、「お礼だよ」と言いながら袋いっぱいのお菓子を手渡してくれて、それから「おまけに」と聞いたことのない夕焼けの歌を教えてくれた。ぼくとおじさんとおまわりさんは手をふって別れた。ぼくはすぐに家に帰らず、土手に座って沈む夕日を眺めながらお菓子を食べて夕焼けの歌を歌った。あの時のお菓子の味はすっかり忘れてしまったけど、夕焼けの歌は今でもよく覚えていて、一人で夕日を眺めている時なんかに、つい口ずさんでしまう。

酔い

 テーブルの上にうっかり酒をこぼした。愛用しているペンが酒びたしになり、ペンはすっかり酔っぱらってしまった。ふらふらとテーブルの上を這い回り、メモ帳を見つけると、「俺の前世は船乗りだったんだ」と筆談で伝えてきた。なるほど、それで、「海」という字を書いた時だけ、やけにインクが濃く出るのか。酩酊したペンはそれっきり何も言わず、ほんのり全身を赤くして寝てしまった。翌日は二日酔いのためか、字が何となくボキボキしているのが可笑しかった。今度海へ行く用事があったら、こいつをシャツの胸ポケットにさしていってやろうと思う。

 コンビニで買い物している時、財布を忘れたことに気づいたので、仕方なく体で払った。「おつりです」店員はそう言って右目だけ返してくれた。左目の方が視力いいから、どうせなら左目がよかったな。

婆さんと蜘蛛

 古本屋の店番をしているよぼよぼの婆さんと、その店の隅にでっかい巣を張っている蜘蛛は、ときどきその立場を入れ替えている。たまに店を覗くと、蜘蛛が店番をして、蜘蛛の巣の真ん中で婆さんが茶をすすっていることがある。なんでも、お互いに死ぬことを忘れてしまった者同士、退屈を紛らすために、時折そうして遊んでいるらしい。婆さんからきいたのか蜘蛛からきいたのかは忘れてしまったが、どうもそういうことらしい。俺みたいな若造にはピンとこない話だ。死なない婆さんと死なない蜘蛛は、誰も買わない本の山の向こうから、今日もせわしなく動き続ける町を眺めている。