超短編小説 トモコとマリコ

超短編小説を中心とした短い読み物を発表しています。

慕情

 俺の住む町の海岸にある日、大量の手紙が流れ着いた。
 町の人々がそれを拾い集めて読んでみると、そこには覚えたてらしいたどたどしい文字で「わたしのこどもをかえしてください」と書かれており、傍らに幼いクラゲの絵が添えられていた。
 人々は口々に「かわいそうに」とか「手分けして探してやろうか」とか言っていたが、本当にそう思っている奴は一人もいなかった。
 俺も適当に話を合わせ、手紙をポケットに突っ込み、アパートの部屋に帰った。
「おかえりなさい」
 女房の声が聞こえた。
 襖を開けると、西日の強い部屋の真ん中、座布団にちょこんと正座している女房と、幸せそうな様子でその乳を吸っているクラゲがいた。
 クラゲも女房の乳房も、昨日より少し大きくなったように見えた。
「今日、あたしの顔を見て笑ったのよ」
「そう」
 俺は答え、さっきの手紙を細かくちぎって小便と一緒にトイレに流し、子育てで疲れている女房のために夕飯を作り始めた。

母になる人

 公園に遊びに行っていた娘が、不機嫌な顔で帰ってきた。
 どうしたの、と尋ねると、砂場でおままごとをしていたら、カビたエプロンをしたお姉さんがやってきて、お母さんの役を無理矢理とられてしまった、という答えが返ってきた。
 今時の子どもも砂場でおままごととかやるんだ、ということにも驚いたが、あのお姉さんまだあの公園に出るのか、ということにはもっと驚いた。

月に吠える

 月の表面には相変わらず「Now Printing」の味気ない文字が浮かんでいる。
 以前はベランダから月を眺めるのが好きだったのに、今ではすっかり興ざめだ。
 ウサギの餅つきにはもう飽きた、とさんざん騒ぎ立てた連中の行方は、未だわかっていないらしい。

霧の国

 玄関のドアを開けると、ちょうどトイレのドアが開いて、合い鍵を渡しているウェイトレスが出てくるところだった。
 気まずい沈黙が数秒続いた後、ウェイトレスは何も言わずに手を洗い、そして私を急かすように、銀のお盆を指先でトントンと叩いた。
 私はもうほとんど取れかけている胸の糸を抜き、半分しか残っていない心臓をウェイトレスに手渡した。
 ウェイトレスは心臓をお盆に載せ、手際よくフォークとナイフを添えて、さっさと部屋を出ていった。
 その夜、ベッドでじっとしていると、部屋のポストに何かが落ちる音がした。
 見に行くと、四分の一ほどになった心臓と、お金の入った封筒が投げ込まれていた。
 予想よりもずっと少ない額だった。
 すっかり小さくなった心臓を胸の中に戻し、遠くに輝くレストランの灯りから逃れるように、頭から布団をかぶった。