超短編小説 トモコとマリコ

超短編小説を中心とした短い読み物を発表しています。

根と林檎

 満員電車に巨大な赤い林檎が乗っている。ぎゅうぎゅう詰めになった人々の顔、吊り広告、蛍光灯、新聞、ため息なんてものがよく光る林檎の表面に映りこんでいる。混んでいる車内で無闇に大きい林檎の存在は邪魔そのものだが、疲れているときに寄りかかることもできるので、人によっては重宝がっている者もいる。

 毎朝、駅を五つほど過ぎたところで、乗り合わせていた若い女が「痴漢!」と大声を上げる。しかし、いつものことなのでもはや誰も気にしない。また、女もそれ以上は騒がない。騒いだところでどうしようもないのだ。
 女は確かに尻を触られたし、周りの人々もそれを知っている。そして、犯人が林檎だということもわかっているのだが、車両の端に座っている女の尻を、車両の真ん中にいる林檎がどうやって触ったのかを誰も説明できないのだ。

 この電車を通勤に利用している友人がいて、彼は趣味でエロ漫画を描いているのだが、林檎は電車の床に根を張っていて、その根の先が女の尻に触れているのではないか、という仮説を立てて、それを基に林檎の根が電車内の女にもっと過激な行為を働くという漫画を描いたらしい。しかし見せてくれと頼んでも、「漫画にしたら全然面白くなかった」の一点張りだ。そんなもんかなとも思う。