超短編小説 トモコとマリコ

超短編小説を中心とした短い読み物を発表しています。

うなじと微笑

 夕飯の時、些細なことで女房と口論になった。一応謝ったのだが、女房はベッドに入ってからも、いつまでもめそめそ泣いていた。なだめたが益々調子に乗って泣きわめくので、呆れて布団をかぶった。
 次の日目が覚めると、女房は水たまりになっていた。中を覗くと底に長い髪の毛が数本落ちていて、その上を蛙や魚が大儀そうに泳いでいる。水たまりはちょうど女房の尻の形になっていたが、女房の尻をじっくり眺めたことはなかったはずだから、ただそんな気がしただけだったのかもしれない。手を突っ込むと、温かく柔らかい水の感触が皮膚にまとわりついてきた。周りには草の芽らしきものもちょろちょろと生え始めていた。それを眺めているうち、もう女房は元の姿に戻れないのだと悟り、何となく切ないような気持ちになった。
 しかしこのままでは日常生活に支障をきたしてしまう。家事のやり方もよく知らないし、向こうの親にも何と説明すればいいかわからない。
 一人で悩んでいても埒が明かないので、近所に住んでいる保母の小林さんに相談してみた。小林さんは私が事情を説明するやまっすぐ寝室に向かい、水たまりを一瞥すると、エプロンのポケットから洗剤や錆びた釘、赤い汁の入ったコンドームや毛糸の塊、その他体に悪そうなものを取り出して、水たまりに次々と投げ込んでいった。そのたびにどぼん、とかちゃぽん、とか音がして、水しぶきがシーツの上に灰色のしみを作った。
 どうして小林さんのエプロンにそんな物が入っているのだろうと考えていたら、しばらくして、すっかり濁った水の底から、死んだ魚の青白い腹がゆっくりと浮かび上がってきた。私は慌てて魚を掴み、水の中に沈めた。しかし後から後から蛙や虫や魚の死骸が浮いてくる。私は掌を目一杯に広げてそれらの死骸を底に押し付けた。
「ねぇ」
 と不意に小林さんの声がしたので振り向くと、小林さんは下着姿になっていた。「ホテル行きます?」と聞かれたので、魚の死骸を見つめたまま、「ここでいい」と答えた。