トモコとマリコ

超短編を中心とした短い読み物を発表しています。

 ある小さな町の、真夜中の踏切に、おーん、おーん、と穏やかな音が響いている。警報機が、昼間と違うものを迎えるための合図を送っているのだ。遮断機がゆっくり下りてきて、同時に、素晴らしく美しい青色のライトが点滅する。しばらくすると、そこへクジラが現れる。年老いた、優しい顔のクジラたちが、何頭も何頭も、線路の上を、滑るように、音もなく通り過ぎていく。クジラたちの背中の上には、ぐったりと横たわっている人や、背中を丸めて座り込んでいる人たちが、クジラたちよりもずっとたくさん見える。彼らのおでこには、切符がわりのヒトデがはりついていて、それらはみな一様に赤錆びたような色をしている。町の人々は言う。線路の先には海がある。きっとクジラたちはそこへ向かっているのだろう。しかし、クジラの背中にいる彼らがどうやって切符を手に入れたのか、そもそも彼らはどういう人たちなのか、なぜクジラが彼らを海へ運ぶのか、それは誰にもわからない。ただ真夜中の踏切からおーんおーんという音が聞こえはじめると、町の人々は、静かに手を合わせて頭をからっぽにする。薄く開けた窓から、潮の香りが忍び込んできて、からっぽの頭を満たしていく。誰に言われたわけでもなく、自然にできた習慣なのだという。翌朝、カンカンカン、といつも通りのけたたましい音、せわしない赤い光とともにいつもの列車がゴウゴウ通り過ぎていく。クジラが現れた次の日は、列車の乗客が少なくなっている気がする、と町の人々は噂しているが、駅長はその噂についてはきっぱりと否定している。

ぷわり

 咳をするたび、耳から、しゃぼん玉が、ぷわりととびだす。
 さすが、新しい病院の、新しい薬だ。気が、利いている。

 咳をするたび、耳から、しゃぼん玉が、ぷわりととびだす。
 虹色をぎらつかせながら、病院の天井に、次々と弾けて、消える。

 咳をするたび、目の中が、にぎやかだ。
 久しぶりに、にぎやかだ。

 咳が、また、ひとつ。

不倫

 リボン、包装紙、テープ、緩衝材、をぽとりぽとり落としながら、新しい月が、夜空にゆっくり現れた。ぴかぴかのまっさらな月だ。生まれたての赤ん坊のお尻のようにも、知恵がたくさん詰まったおじいさんの禿頭のようにも見える。いつもより明るい月夜だ。誰かがどこかでクラッカーを鳴らしている。駅前では大勢の人が新しい月を称える歌を合唱している。いつもより明るい夜だ。そこら中から携帯で写真を撮る音が聞こえてくる。今日は何とかとかいう記念日になるという。いつもより明るい夜だ。そういえば、古い方の月は細かく砕かれ、動かない冷蔵庫や割れたコップの集まる場所へ、軽トラで運ばれていったらしい。ウサギは遠くの山に放たれたそうだ。そのことをふいに思い出し、私の心に小さな影が落ちるが、見上げると新しい月の眩い光が目の中に溢れ、何だかどうでもいいような気持ちになってくる。今日はいつもより明るい夜だ。それに、どうせ新しい月のことも古い月のことも、みんな明日には忘れていることだろう。しばらくすると、街は静けさを取り戻し、新しい月の光を楽しむために消されていた家々の照明が、ぽつぽつと点りはじめる。私もカーテンを閉め、部屋の電気のスイッチを入れる。蛍光灯の光が何だかほっとする。それから時計に目をやり、慌ててテレビのスイッチを点ける。不倫がばれた芸能人が泣いている。

犬と爺さん

 からだじゅうに、コードや、ネジや、アンテナや、ちかちか光るランプをくっつけた、ほとんど骨ばかりの犬が、これまたほとんど骨ばかりの爺さんが弱々しく投げたフリスビーを、三十分かけて、くわえて戻ってきた。夕暮れの、さびれた公園での話だ。

 本当は会社に戻らなきゃいけないのに、その一部始終をベンチに腰かけてぼんやり眺めていた。爺さん、すごくよろこんでた。犬も、たぶん。

こっぷ

 くすりをのむのにつかったこっぷが、こいのぼりみたいなおおきなくちで、びょうきがなおったらぴくにっくにつれていってください、といったので、どこへいきたいの、とたずねると、こっぷは、やわらかいつちのうえなら、どこでも、とこたえた。おもいきりころがってもけっしてわれないばしょで、おおごえでわらってみたいんです。そのことばをききながら、くらいだいどころのすみで、わたしはせきをこらえていた。