超短編小説 トモコとマリコ

超短編小説を中心とした短い読み物を発表しています。

栓と鮫

 年のせいなのか疲れのせいなのか、どうもどこかの栓がゆるくなっているらしい。
 最近、しょっちゅう夢が外にはみ出す。
 この間も、電車のつり革を握ったまま立ち寝してしまっていたところ、突然駅員に恐ろしい声でたたき起こされた。
 びっくりして顔を上げると、目の前の網棚に、先ほどまで私を追いかけていた人食い鮫がびちびちと横たわっていた。

掌編集・十五「象は賢い動物です、櫛、骨め」

【一.象は賢い動物です】

 象は賢い動物です。
 たとえばあの象を見てください。
 長い鼻でペンチを器用に操って、壊れた飼育員を自分で修理していますね。
 本当は飼育員がいなくても生きていけるのですが、飼育員の家族が泣いているのを見て修理することにしたようです。
 象は本当に賢い動物です。


【二.櫛】

 休み時間に、前の席に座っているクラスメートが櫛で髪をとかしていた。
 長い黒髪が輝きながらほどけていくのを何となく眺めていたら、突然そのクラスメートが怒ったような顔でこちらを振り返り、机に広げていた俺のノートを櫛でさっと撫でた。
 ノートに目をやると、さっきの授業の時に必死に書き写したノートの文字がすべてほどけて、ただの線になっていた。


【三.骨め】

 朝起きると体の内側からアイスクリームのにおいが漂っていた。
 まさかと思いお母さんに訊いてみたら、昨日の夜、私が眠った後に、私の骨が勝手に私を脱いで、冷蔵庫にとっておいたアイスを丸々一つ平らげたらしい。
 最近そんなことばっかりだ。
 この間はお姉ちゃんの香水を勝手につけられてえらい目に遭った。
 昔はあんなに仲良かったのに。
 骨め。

掌編集・十四「入れ食い、きっかけ、転校生と綿」

【一.入れ食い】

 ご覧になりましたか、あの列車。
 すっかり齧り尽くされていましたね。
 あの山にトンネルを掘ったのがそもそもの間違いだったんですよ。
 私のおばあちゃんが言ってましたもん。
 アレはいつも腹を空かせているんだって。


【二.きっかけ】

 呑みこんだネズミが縫い目をほどいて逃げていったのを見て、初めて自分が本物の蛇じゃないことに気がついた。


【三.転校生と綿】

 転校生が教壇に立って自己紹介をしている。
 彼の手首の辺りがほころび、中から綿がはみ出ているのに気づいたのは、最前列の席に座っている私だけだった。
 気づかれないようにそっと手を伸ばして綿を抜くと、綿は少し温かくて湿っていた。

 その日の放課後、下駄箱で転校生に呼び止められた。
「……何?」
「……箸がうまく持てなくなるから、ああいうのやめてね」
 それだけ言って彼は帰ってしまった。
「……」
 何となくとっておいた綿は、駅のゴミ箱に捨てた。

パオパオ

 休園日の動物園の象舎を点検しに行くと、象がパオパオ笑いながら踊り回っていた。
 やめろと言っても聞こえていないようだったので、持っていた竹箒で頭を引っぱたいて無理矢理黙らせた。
 後で他の飼育員に聞いたら、象の中の奴ら、休園日だからって朝から酒を呑んでいたらしい。

掌編集・十三「煙突、口が痛い、虎と下着」

【一.煙突】

 友達と遊んだ帰り道、ふと何か嫌な気配を感じて後ろを振り返ると、近所の工場の煙突に大きな喉仏がくっついていて、夕焼け空を飛ぶ鳥の群れをごくごくと飲み込んでいた。


【二.口が痛い】

 口の中が痛くて目が覚めた。
 どうも口内炎や虫歯という感じの痛みじゃない。
 我慢できそうにないので、娘を保育園に送ったらすぐに病院に行こうと思い、とりあえず隣で寝ていた娘を揺り起こすと、娘が私の顔を見るなりケラケラ笑い出した。
 何事かと思って鏡を見ると、私の前歯のあちこちに小さな足跡が残されていた。


【三.虎と下着】

 動物園から虎が逃げました云々とラジオが言った。
 町のどこかをうろついています云々と町内のスピーカーが言った。
 虎は先週人を食べた罰に餌を抜かれていたので云々喉がとても渇いているそうです云々とテレビが言った。
 町じゅうの川に薬が溶かされましたとパトカーの拡声器が言った。
 そして町じゅうの川が桃色に染まった。
 困ったことになった。
 私は汚れた下着を洗うために町をさまよっていた。
 汚れた下着を母に見られたくなかったので、川で洗おうと思っていたのだ。
 私は綺麗な川を求めて歩き続け、やがて町の外れでそれを見つけた。
 川辺に腰かけ、ポケットから下着を取り出す。たくさん歩いたせいか、足と足の間がじんじんする。
 そっと川に触れてみる。水が冷たい。指先がかじかむ。しかし下着が汚れている。母に見つかる前に洗わなければいけない。
 気合いを入れて汚れた下着を洗い始めてすぐに、隣に大きな影が現れた。
 大きな影は私などには目もくれず川の水をごくごくと飲み始めた。
 私が下着を洗う音と、隣で喉を鳴らす音とが、奇妙に響き合っていた。
 ふいに背後で叫び声がした。
 声は私の名を呼んでいた。
 私は慌てて汚れた下着を手の中に隠した。
 しかし声はどんどん近づいてくる。
 隣で水を飲んでいた影が声の方へ振り向いた。そういう気配がした。
 声は私の名を呼ぶのをやめ、聞いたこともないような音の塊になり、すぐに消えた。
 背後で何かが何かを食べる音がした。
 下着の汚れはいつまで経っても落ちなかった。