超短編小説 トモコとマリコ

超短編小説を中心とした短い読み物を発表しています。

メトロノーム

 中学の時、笑わないことで有名な音楽の先生がいた、いつも仏頂面でピアノを弾き、仏頂面で合唱の指導をしていた、嫌な先生ではなかったが、笑った顔を見たことがないというのが災いし、何となく生徒からは避けられていた、ある日の放課後、掃除をしに音楽準備室を訪れると、ドアの向こうから、ハ、ハ、ハ、というぎこちない声が聞こえてくることに気づいた、そっとドアを開けて中を覗くと、件の先生がひきつった笑顔でメトロノームの前に立ち、そのテンポに合わせて、ハ、ハ、ハ……と笑う練習をしていた、私は、恐ろしかったのか、悲しかったのか、色々が混じった複雑な感情を覚え、そっと音楽準備室の前から立ち去った、そこを偶然担任に見つかり、掃除をさぼるなと叱られたが、もう音楽準備室には戻りたくなくて、走って逃げたのを覚えている、それからすぐ後、その音楽教師は別の学校へ移っていき、二度と会っていないが、今頃あの人、どこかでちゃんと笑えているのだろうか、私はといえば今でもたまに調子が悪い時などには、あのぎこちない笑顔とメトロノームの音に合わせた笑い声が夢に出てきて、そんな日は決まって一日顔が引きつって、おいしいものを食べてもうまく笑えない。