超短編小説 トモコとマリコ

超短編小説を中心とした短い読み物を発表しています。

猫とビニール

 飼い犬の調子が悪かったので獣医に診てもらうことにした。その日は朝から雪が降っていて、私が外に出たときにはもうずいぶん積もっていた。
 獣医に向かう道すがら、私の進むのと同じ方向に、点々と丸い足跡が残されているのに気づいた。案の定それは動物病院の玄関まで続いていた。
 扉を開けると、待合室には、子猫を抱えたダッチワイフが、冷たい椅子の上にポカンと口を開けて座っているだけだった。受付には誰もいなかった。奥の方で人の気配はするが、建物の中が何となくいつもより暗くて、小さな声で何かぼそぼそと喋っている待合室のテレビが、余計に寂しく感じられた。
 受付に声をかけると、陰気な顔の女が出てきて、私に紙とペンを手渡すと、座って待っていろと言ってすぐに引っ込んでしまった。ダッチワイフの斜め後ろの椅子に座り、飼い犬の入ったかごを隣に置いた。やがて落ち着いてくると、手先がかじかんでいることに気づいた。すると突然暖房が大きな音を立てて動き始め、埃っぽい温風が頬をくすぐった。そのうち飼い犬がいびきをかいて眠り始めたので、私は窓の外の雪を見ながらため息をついた。
 コートの雪を払いながらテレビを観ていたが、暖房のせいで音がまったく聞こえず、ちっとも面白くなかった。そこでテレビの音量を上げようと立ち上がり、何の気なしにダッチワイフの方を見ると、子猫はダッチワイフの腕の中で荒い息をしていた。ダッチワイフは目の前を見つめたまま動かなかった。
 何となく慌てた気持ちになり受付を見たが誰もいなかった。雪の降る音が空洞のような待合室にしんしんと響いてくるようだった。子猫が薄く目を開けて、ダッチワイフと同じ方を見ていた。子猫は呻きながら体をよじり、そのたびにビニールが擦れる嫌な音がした。私はますます不安になり、しかしどうしようかとまごついている間にも、子猫はどんどん弱っていって、そして細い腕をとつぜん空中にぐっと伸ばしたかと思うと、次の瞬間にはダッチワイフの膝の上で息絶えてしまっていた。
 私はテレビのリモコンを持ったまま突っ立っていた。空中に伸ばされていた子猫の腕から力が抜けて、それがだらりと振りおろされ、その拍子に爪がダッチワイフの胸に刺さった。ビニールの肌が裂け、ダッチワイフはポカンと口を開けたまま、猫の死骸を包むようにしぼんでいった。その間にも雪はどんどん降り積もるようだった。