超短編小説 トモコとマリコ

超短編小説を中心とした短い読み物を発表しています。

今昔物語

 押入れの奥から出てきたスケッチブックに、小さな掌のスケッチが描かれていた。
 確か当時小学生だった私が、自分の掌を見て描いたものだ。
 懐かしい気持ちで眺めていると、突然掌がスケッチブックからにゅっと飛び出てきて、私のおっぱいをわしづかみにして霧のように消えてしまった。
 一瞬の出来事だった。
 シャツに残された鉛筆の粉をはたき落としながら、せめて何か感想をくれよと思った。

保護者の皆様へ

 小さい子の手が届く場所にハサミを放置しておいてはいけないとつくづく思い知った。
 昨日の夜、夕飯の片づけをしていたら、3歳になる娘が工作用のハサミを持ってベランダに出ていった。
 何か嫌な予感がして慌てて追いかけると、夜空に浮かぶ月がウサギさんの形に切り抜かれていた。

ハードボイルド

 将来を誓い合ったミミズに別れを告げる間もなく、ジャガイモは畑から掘り出され、鍋に放り込まれた。
 これでいいのさ。
 どのみち俺じゃあ、あの子を幸せにはしてやれない。
 鍋の外では、新婚の奥さんがエプロン姿のまま、帰宅した夫の首に抱きついている。
 奥さん、もう一度味見をした方がいい。
 スープに涙が混ざっちまった。

蝶を逃がす

 今朝も悲しい夢で目が覚めた。
 深くため息をつき、認めたくなかった言葉を心の中でつぶやく。
 やっぱり私たちは合わないみたいだ。
 パジャマを脱ぎ、胸を開き、心臓のファスナーを開けると、白く美しい蝶がのろのろと這い出てきた。
 何か言いたいのに何も浮かばない。
 黙って窓を開ける。
 蝶は太陽の光を全身に浴びながら、大きく羽を広げ、どこかへ飛び去っていった。
 からっぽの心臓に休日の風が冷たく染みこんでいった。

日焼け

 海辺の町の小さな児童公園で、地元の子どもたちに混じって、真っ黒に日焼けしたミロのヴィーナスの両腕がトンボ捕りに興じている。
 いやぁ、楽しそうで何よりだ。

 両腕は突然この町に現れた。
 漁船の網に引っかかったのか、のんびりと海流に乗ってここまで流れ着いたのかはわからないが、港をウロウロしているところを漁師が見つけ、保護されたのだ。
 はじめはお互いに戸惑っていたが、どうやら悪い奴ではないということが徐々にわかり、今ではすっかり町の住人の一員になっている。
 特に子どもたちとは仲が良いようだ。

 そういえば、うちの娘の話によると、両腕は最近ひらがなを勉強し始めたらしい。
 ルーブルにいる胴の方に会いに行く気はないのかな、と常々思っていたが、どうやら丸っきりないらしい。
 まぁ、楽しそうで何よりだ。