超短編小説 トモコとマリコ

超短編小説を中心とした短い読み物を発表しています。

無題

 夕暮れの墓場から、青白い顔の男が歩いてくる。頭上に ( を浮かべ、足下に ) をまとわりつかせた、つまり「( )」に閉じこめられた青白い顔の男が、歩いてくる。生きているわけでも、死んでいるわけでもなく、困り果てたこの世が仕方なく( )に閉じこめた男だ。男は墓場を出て寺の前を通り過ぎ、何か決心したような顔で、寺の向かいにある蕎麦屋の店の前に立ち、その引き戸に手をかけようとして、しかし、いつまでも動けない。地面は歩けるが、引き戸は掴めるのだろうか。店の中に入れても、俺の声は店員に届くのだろうか。注文ができても、蕎麦の味はわかるのだろうか。蕎麦の味がわかっても、はたして腹は膨れるのだろうか。男は( )の中でそんなことを考えて、いつまでも動けない。先ほどの決心したような顔が不安によって崩されていく。やがて完全に日が落ちて、辺りには闇が満ち、( )の男の姿はその中に紛れて見えなくなっていく。遠くで救急車のサイレンが鳴り、どこかの犬がそれに吠えかかる。街灯に明かりが灯り、蕎麦屋でもまた蛍光灯がぱっと点く。帰路につく勤め人の一人が蕎麦屋の前で立ち止まり、軽々と引き戸を開けて店の中へ入っていった。しかしその時( )の男の姿は、既に店の前にはない。夜の墓場の隅に積まれた、無縁仏の墓石の前にある。男は墓石の前に突っ立って考え事をしている。蕎麦屋の前にいた時と同じようなことを考え続けているのだ。何か決心したような顔で。しかしやがてそれは不安によって崩されていく。ああ、ほら。