超短編小説 トモコとマリコ

超短編小説を中心とした短い読み物を発表しています。

目眩

 気がつくと、それを握りしめたまま、自販機の横にある空き缶用のゴミ箱に、手を突っ込んでいる、

 手を離すと、ガコン、という音がする、思っていたよりもずいぶん大きな音だ、

 ゴミ箱にたかっていた二匹の蟻が、一瞬身体を強張らせて、そそくさと逃げ出す、

 何もない手をゴミ箱に突っ込んだまま、蟻たちの後ろ姿を見送っている、

 夏の暑い日のことで、それは夏の暑い日のことで、風はなく、陽射しは首筋からつむじをじりじりと焼き、通りに人影は見えない、

 あの蟻はどこへ行くのだろう、

 そんなことを考えた時、ふいに蒸気のようなものが、あの蟻はどこへ行くのだろう、という言葉もろとも意識を覆い尽くし、目眩が、

 

 

 一枚の絵を見ています。

 画用紙に描かれた水彩画で、

 殺風景な部屋の真ん中に、一人の男の子がいます。

 部屋の窓は開いていまして、

 その向こうの空間は、白い粘土のようなものに満たされています。

 白い粘土のようなものからは、一本の白い腕が生えています。

 短くてか細くだがしなやかで力強いその腕は、男の子の手をしっかりと握っています。

 気持ち悪い絵です。

 絵の上部には、何か文字を入れるために、

 あたりをつけたのだと思われる○が、

 鉛筆で薄く描きこまれています。

 何かの課題で描いた絵なのでしょうか。

 画用紙の端には小さな紙切れが糊付けされていまして、

 見覚えのある人名と見覚えのある学校名と見覚えのある出席番号が記されています。

 長いお休みの前に教室にあるものを持ち帰らなきゃいけなくて、

 その時にずっと置きっぱなしにしていたこの絵をロッカーから取り出したら、

 ××ちゃんに気持ち悪い絵って言われて、

 それでその場で破いて、

 腕と男の子は離れ離れになって、

 

 

 ざわめきのようなものが、耳の奥から響いてくる、

 少しずつ少しずつ大きくなって、やがて叫び声になって、

 気がつくと、それを握りしめたまま、自販機の横にある空き缶用のゴミ箱に、手を突っ込んでいる、

 手を離すと、ガコン、という音がする、思っていたよりもずいぶん大きな音だ、

 ゴミ箱にたかっていた二匹の蟻が、一瞬身体を強張らせて、そそくさと逃げ出す、

 何もない手をゴミ箱に突っ込んだまま、蟻たちの後ろ姿を見送っている、

 夏の暑い日のことで、それは夏の暑い日のことで、風はなく、陽射しは首筋からつむじをじりじりと焼き、通りに人影は見えない、

 あの長いお休みの原因は何だったのだろう、

 そんなことを考えた時、ふいに蒸気のようなものが、あの長いお休みの原因は何だったのだろう、という言葉もろとも意識を覆い尽くし、目眩が、

 

 

 屋上に女が一人立っていました。身体が透けていて腹の辺りから変な音をたてていました。

 女は町を眺めていました。

 離れた場所に立ち、煙草に火を点けました。

 泣きながら死んだので目に涙がたまったまま幽霊になってしまいました

 女が話し始めました。

 最後に会いたかった人の姿を探すために毎晩屋上から町を眺めています

 女は妙に間延びした声で話し続けました。

 でもちっともはかどらないんです涙で目の前が滲んでどれがあの人かわからなくてでも涙で滲んだ町の灯はちょっときれいでだからすこしは、

 

 

 ざわめきのようなものが、耳の奥から響いてくる、

 少しずつ少しずつ大きくなって、やがて叫び声になって、

 気がつくと、それを握りしめたまま、自販機の横にある空き缶用のゴミ箱に、手を突っ込んでいる、

 手を離すと、ガコン、という音がする、思っていたよりもずいぶん大きな音だ、

 ゴミ箱にたかっていた二匹の蟻が、一瞬身体を強張らせて、そそくさと逃げ出す、

 何もない手をゴミ箱に突っ込んだまま、蟻たちの後ろ姿を見送っている、

 夏の暑い日のことで、それは夏の暑い日のことで、風はなく、陽射しは首筋からつむじをじりじりと焼き、通りに人影は見えない、

 あの女の腹の音は何だったのだろう、

 そんなことを考えた時、ふいに蒸気のようなものが、あの女の腹の音は何だったのだろう、という言葉もろとも意識を覆い尽くし、目眩が、

 

 

 肉を叩いている時の男が好きだから、

 女はお化粧をして出かけます、

 男に肉を用意するために。

 男に肉を用意するたびに、

 女は仕事を変えて、

 二人は住む街を変えてきました。

 新しい台所で肉を叩きながら、

 男は時々不安そうな顔をします。

 男が時々不安そうな顔をしますと、

 女は歌を口ずさむように男に囁きます。

 何も心配はいらないわ、

 そんな顔をしないで、

 肉を叩いている時のあなたが好きなの。

 何も心配はいらないわ、

 つまらないことでくよくよしないで。

 つまらないことでくよくよしたら、

 私が肉になっちゃうわよ、

 私が肉になっちゃうわよ、

 私が肉になっちゃうからね、

 

 

 ざわめきのようなものが、耳の奥から響いてくる、

 少しずつ少しずつ大きくなって、やがて叫び声になって、

 気がつくと、それを握りしめたまま、自販機の横にある空き缶用のゴミ箱に、手を突っ込んでいる、

 手を離すと、ガコン、という音がする、思っていたよりもずいぶん大きな音だ、

 ゴミ箱にたかっていた二匹の蟻が、一瞬身体を強張らせて、そそくさと逃げ出す、

 何もない手をゴミ箱に突っ込んだまま、蟻たちの後ろ姿を見送っている、

 夏の暑い日のことで、それは夏の暑い日のことで、風はなく、陽射しは首筋からつむじをじりじりと焼き、通りに人影は見えない、

 あの男の不安とは何だったのだろう、

 そんなことを考えた時、ふいに蒸気のようなものが、あの男の不安とは何だったのだろう、という言葉もろとも意識を覆い尽くし、目眩が、

 

 

 何枚かの厚い板が釘で合わさっていてそれが廊下の端の和室のベッドにあって点滴に繋がれていて玄関のすぐ近くにあるご飯の部屋でみんなでご飯を食べていると×××ちゃんが「×××××が……」って泣きながら入ってくるからそうすると×××さんが和室に行くからこっそりついていったらベッドの上の板の合わさったやつの釘が抜かれていてバラバラになっているから×××ちゃんが泣いていて×××さんは黙ってでも笑って板に釘を打ち直して元通りにして×××ちゃんがありがとうって何度も言って×××さんは黙ってでも笑ってご飯に戻ってくるからみんなで話していると×××さんがあの釘は×××ちゃんが自分で抜いたんだよって言うとみんなは、

 

 

 ざわめきのようなものが、耳の奥から響いてくる、

 少しずつ少しずつ大きくなって、やがて叫び声になって、

 気がつくと、それを握りしめたまま、自販機の横にある空き缶用のゴミ箱に、手を突っ込んでいる、

 手を離すと、ガコン、という音がする、思っていたよりもずいぶん大きな音だ、

 ゴミ箱にたかっていた二匹の蟻が、一瞬身体を強張らせて、そそくさと逃げ出す、

 何もない手をゴミ箱に突っ込んだまま、蟻たちの後ろ姿を見送っている、

 夏の暑い日のことで、それは夏の暑い日のことで、風はなく、陽射しは首筋からつむじをじりじりと焼き、通りに人影は見えない、

 みんなは……、

 そんなことを考えた時、ふいに蒸気のようなものが、みんなは……、という言葉もろとも意識を覆い尽くし、目眩が、

 

 

 つたにおおわれた女が、

 つたにおおわれたベッドに横たわっています。

 つたにおおわれた女は口を大きく開けたまま、

 つたにおおわれた部屋で眠りつづけています。

 大きく開かれた女の口には、花の蜜が湛えられています。

 だから女の寝息はぽこぽこと可愛らしい音がします。

 つたにおおわれた窓の隙間から一匹の蝶々が入ってきて、

 まるで導かれるように、女の口の中に広がる蜜の海の中へ潜っていきます。

 つたにおおわれた部屋の入り口で、

 頑丈そうな白い服を着たひとが、

 真新しいカメラを回して、

 その一部始終を撮影していますね。

 長い時間が流れた後、

 白い服のひとはカメラの停止ボタンを押すと、

 つたにおおわれた部屋に火を放ち、

 その一部始終を撮影するために扉を開けて、

 

 

 ざわめきのようなものが、耳の奥から響いてくる、

 少しずつ少しずつ大きくなって、やがて叫び声になって、

 気がつくと、それを握りしめたまま、自販機の横にある空き缶用のゴミ箱に、手を突っ込んでいる、

 手を離すと、ガコン、という音がする、思っていたよりもずいぶん大きな音だ、

 ゴミ箱にたかっていた一匹の蟻が、一瞬身体を強張らせて、そそくさと逃げ出す、

 どこへ行った? 白い服のひとも、もう一匹の蟻も、

 何もない手をゴミ箱に突っ込んだまま、ぼんやりと考えている、

 ゴミ箱の中に突っ込んだ手がふいに、何かぬるぬるした温かいものに触れる、

 ぬるぬるぬるぬる。

 甘い香りが鼻をつく、

 自販機のモーターが静かに唸っている、

 ゴミ箱の中で、強張って動かない指先を、小さな小さな何かが這い回っている、

 ぐるぐるぐるぐる。

 夏の暑い日のことで、それは夏の暑い日のことで、風はなく、陽射しは首筋からつむじをじりじりと焼き、通りに人影は見えない、

 ふいに喉の奥で、何か大きな塊が、ものすごい勢いで膨らんでいくのがわかる、もう片方の手で慌てて口をおさえるが、何もかも遅いらしい、大きな塊は叫びとなって、喉を裂くように、