超短編小説 トモコとマリコ

超短編小説を中心とした短い読み物を発表しています。

肌の塊

(夕暮の団地。一棟のマンションの五階の廊下を、スーツ姿の初老の「男」がとぼとぼ歩いている。)

(丸まった背中。手には通勤鞄。先のほつれたネクタイ。)

(男は廊下の隅の部屋の前に立ち、インターホンを押す。)

(すぐにドアが薄く開き、チェーンの繋がれた隙間の向こうから、男とも女ともわからない大きな目が覗く。)

(男は通勤鞄から封筒を取り出し、つぶやく。)

 

 あ、身代金です、今月の……。

 

(男が言い終わらないうちにドアの隙間から手が伸び、男の封筒をさっと回収する。)

(間髪入れずドアの中から、こぶし大のわけのわからないキャラクターのキーホルダーがつけられた小さな鍵が放り投げられる。)

(鍵は男の胸にぶつかり、廊下の床に落ちてカシャンという音を立てる。)

(男はそれを拾い上げ、またとぼとぼとマンションを後にする。団地へと帰る小学生の群れや、犬を連れた家族連れが男とすれ違う。)

 

(夜の駅構内。トイレの近くに並ぶコインロッカーの前に、男が立っている。)

(男は先程の小さな鍵で、一つのロッカーを開ける。)

(ロッカーの中には、辞書くらいの大きさの、柔らかく四角い、肌の塊が入っている。)

(男は通勤鞄から紙袋を取り出し、その肌の塊を詰め、ロッカーに鍵をする。)

(男はそのまま立ち食い蕎麦屋に立ち寄り、山菜蕎麦を食って駅を出る。)

 

(夜の団地。男が夕方のマンションのポストの前に立っている。)

(男はポストの一つに、ロッカーの鍵を放り込む。そしてスーツのポケットから手帳を取り出し、空白のページに「来月もお願い致します」と走り書きして破り、ポストに入れる。)

 

 ……。

 

(男は紙袋を手に提げ、団地を後にする。)

 

(住宅街の隅、安アパートの一室。物が少なく、生活感の薄い部屋。)

(男がスーツを脱ぎ、ジャージに着替えている。肌の塊は紙袋から取り出され、玄関の靴箱の上に置かれている。)

(暗がりの中で、肌の塊は、かすかに膨らんだり萎んだりを繰り返している。)

(着替えが終わった男は部屋の灯りを消し、鍵の束を持って玄関に向かう。それから肌の塊を抱え、部屋を出ると、同じアパートのすぐ隣の部屋の鍵を開け、中に入る。)

 

(隣室の電気が点く。六畳ほどの和室に、肌の塊が並べられている。)

(一見雑多に並べられているように見えるが、遠目に見るとそれは、すらりと伸びた女の二本の脚の形に並べられていることがわかる。)

(肌の塊の周りには、弁当の空き箱や飲み終わった缶コーヒーが散らばっている。)

(男は手に持った肌の塊と、部屋に並んだ肌の塊とを交互に見て、少し首を傾げながら、今月の肌の塊を端に並べる。)

(それから男は冷蔵庫を開け、缶ビールと魚肉ソーセージを取り出し、それを雑に食い始める。)

(男は非常に疲れた顔をしている。)

 

(並べられた肌の塊と少し離れた窓枠に、写真立てが置かれている。)

(男は何気なくそれに目をやる。)

(一枚の写真。若い頃の男と、男の膝の上で笑う少女。)

(男はソーセージをごくりと飲み込む。)

 

(男はしばらく写真を眺めたあと、写真立てをパタリと倒し、ゴミをポケットに突っ込んで、部屋の電気を消して出ていく。)

(暗がりの中で、肌の塊が、かすかに膨らんだり萎んだりを繰り返している。)