超短編小説 トモコとマリコ

超短編小説を中心とした短い読み物を発表しています。

記憶と掌

 夢の中によく喋る小鳥が現れた日は、朝目覚めると決まって、指先が少し消えている。アラームをセットした携帯が止められなかったり、カーテンが閉められなかったり、指先が消えると地味に不便だし、何より放っておくとどんどん消えていってしまうのが困るので、そういうときは近所に住んでいるお姉さんの家に行く。

 お姉さんはどんな日も部屋の真ん中で絵を描いている。消えていく指先を見せると、お姉さんは丁寧に削られた鉛筆で、指先を描き足して元通りにしてくれる。描かれた指が手になじむまで、少し時間がかかるので、お姉さんが作った春巻とか唐揚げをご馳走になる。

 

 ある朝目覚めると、手首から先がすべて消えていた。小鳥の夢を見たのにうっかり寝過ごしてしまったようだ。慌ててお姉さんの家に行くと、何だか部屋ががらんとしている。声をかけると、奥からジャージ姿のお姉さんが出てきて、今日の昼にこの街から引っ越すのだと告げられた。理由を聞きたかったが、こちらもそれどころではなかったので、とりあえず何も聞かず掌を描いてもらうことにした。お姉さんは積まれていた段ボールの一つを開けていつもの鉛筆を取り出し、掌を描き足してくれた。しかしそれは消える前の私の掌にちっとも似ていなかった。

 戸惑っていると、お姉さんは描かれたばかりのその掌で、お姉さんの首筋を撫でるように言った。言われるままにお姉さんの首筋に触れると、細くて熱かった。しばらく何も話さずそうしていたら、お姉さんは満足そうに立ち上がり、簡単な別れの挨拶とともに、さっさと街を出ていってしまった。私は残された新しい掌を見た。たぶんこれは、誰かの掌に似ているのだろうと思った。