超短編小説 トモコとマリコ

超短編小説を中心とした短い読み物を発表しています。

バグ

 胸にいつの間にか切り傷ができていて、痛くもなければ血も出ない。念のため絆創膏を貼り、しばらくしてから何気なく剥がしてみたら、切り傷はコイン投入口になっていた。試しに百円入れてみると、素晴らしく美しい口笛がひとりでに喉の奥から溢れてきて、たまたま遊びに来ていた姪っ子にとても驚き喜ばれた。それからしばらくは百円入れては口笛を吹き、百円入れては口笛を吹き、の賑やかで美しい旋律に彩られた毎日を過ごしていたのだが、傷の治癒とともにコイン投入口はだんだん小さくふさがっていき、そのうち百円どころか一円玉すら入らなくなり、やがてかさぶたになって跡形もなく消えてしまった。あの美しい口笛が懐かしい、もう一度吹きたい、吹いてみたい、とあの日以来時々思うことがあるが、そのために自ら胸を傷つける実験をするほどの度胸もない。きっとあれは人生の中に現れたちょっとしたバグだったのだと思う。ちなみに姪っ子は私の口笛に感銘を受けて、中学校入学と同時に吹奏楽部に入ったそうだ。何だか申し訳ない。