超短編小説 トモコとマリコ

超短編小説を中心とした短い読み物を発表しています。

金魚鉢

 廃屋の子ども部屋の窓辺に置かれた、干からびた金魚鉢の中に、かすかな声がこだましている。もう遅いですか。もう遅いですか。時に鋭く、時にかすれながら金魚鉢の狭い空間をぐるぐる回っていたその声に唯一気づいたのは、廃屋を取り壊しに来た解体業者の若い男だった。たぶんもう、遅いんじゃないですかね。男がそう言うと、金魚鉢は一瞬黙りこみ、そして、わかりました。と答え、それきり何も言わなくなった。金魚鉢は数分後に重機に砕かれ砂埃の中で瓦礫となり、男はこの日の日記に小さな魚の絵を描いた。