超短編小説 トモコとマリコ

超短編小説を中心とした短い読み物を発表しています。

葡萄

 旅行へ出かけ、小さな旅館に泊まった。女将に案内された部屋は、狭いが海のよく見える窓があって、風呂上がりにあそこでビールでも呑んだら旨そうだ、なんてことを思ったが、古い畳の上を歩くたびに足の裏に小さな砂粒みたいなものがくっついてくるのが気になった。女将と話をしながらさりげなく何がくっついているのか確かめようとするのだが、そのたびに足が攣りそうになってどうにもままならない。一度気になると女将と喋っていても上の空になってしまう。申し訳ないとは思いつつも、夕食のメニューについて何か説明している女将に早く出ていってくれと告げようとした時、その砂粒みたいなものが足の裏から一斉に足首の方へ移動してきたような感覚が伝わってきて、思わず悲鳴を上げると、女将はちょっと驚いた後に笑いながら、「早く言ってくださればいいのに」と部屋の電話の受話器を取り、何か聞き取れない言葉でやりとりを始めた。気が気じゃなくて、足下へ視線を落とそうとすると、女将が「見ちゃ駄目」といって私の目を柔らかい掌で覆ってしまう。女将の掌は何かお菓子のような匂いがした。女将が電話を切ると、すぐに仲居がやってきて、私の前へ猪口を差し出した。猪口には香りのよい酒が注がれていた。
 女将が「厄払い、厄払い」と言いながら猪口を傾ける仕草をするので、それを飲んだ途端、足にくっついていた何かがさあっと離れ、畳の上を這い回っているような音が聞こえてきた。すぐに足元を見てみたが、何もいなかった。「すいませんね、お騒がせして」と言いながら、女将が畳をドンドン、と二回強く踏んだら、テレビがガタガタと揺れたので、そっちの方へ逃げたらしいということがわかった。「今のは何なんですか」と訊くと、女将に目配せされた仲居が、テレビのスイッチを入れた。ワイドショーが流れていて、見慣れた司会者や芸能人の顔が、ことごとく、潰れた葡萄のようになっていた。背後で仲居がくっ、くっと笑い声を漏らし、女将がその肩を軽く叩いたのがわかった。