超短編小説 トモコとマリコ

超短編小説を中心とした短い読み物を発表しています。

掌編集・十二:壁、十二時、クミコ

【一.壁】

 日曜日の昼下がり、4歳になる息子が庭に出て、にこにこ笑いながら家の壁にホースで水をぶちまけていた。
 いたずらしちゃダメでしょ、とホースを取り上げると、息子は困ったような顔をしてあっさり引き下がった。
 次の日の朝、庭に出て洗濯物を干している時、昨日息子が水をかけていた辺りをふと見ると、コンクリートの壁を突き破って何かの植物の芽がちょこんと生えていた。


【二.十二時】

 壁掛け時計の針がひくひくと震えたまま、十二時を指そうとしていつまでも指さない。
 私がベランダから飛び降りるのを待っているらしい。
 急にすべてが馬鹿馬鹿しくなり、部屋に戻って丸めた遺書をごみ箱に棄てると、舌打ちみたいな音を立てて、針が十二時を指した。


【三.クミコ】

 朝のオフィスで、クミコの首の美しい産毛が陽光にきらめいている。
 朝のオフィスで、クミコの唇の甘い赤を紅茶の滴がおずおずと濡らす。
 朝のオフィスで、クミコの癖の罪作りなつま先が揺れている。
 朝のオフィスで、クミコがクスクス私を笑っている。

(いつまでそうしてるの。)

 夕暮の道を、影と影との距離にいろいろと理由をつけながら、クミコと私が歩いている。
 夕暮の道が、筒のようになった勤め人たちを次々と排泄している。
 夕暮の道で、未来が白い腹を見せて引っくり返っている。
 夕暮の道に、膨らんだ袋の影が、振り子のように揺れている。

 夜のキッチンで、クミコの乾いた踵がひび割れていく。
 夜のキッチンで、クミコの国を流れる川が涸れていく。
 夜のキッチンで、クミコの櫛が折れたまま踊っている。
 クミコの国の空を、狂った雲が流れ去っていく。

(いつまでそうしてるんだ。)

 夜のキッチンの屋根に、雨粒が落ち始める。