超短編小説 トモコとマリコ

超短編小説を中心とした短い読み物を発表しています。

泡と霧雨

 休日の子供部屋。

 少女が机に向かって勉強している。

 目の前の壁には写真が飾られている。

 どこかの湖で撮った写真。少女と、その家族と、晴れた空と、湖。

 

 

 勉強に疲れた少女が顔を上げると、窓の外に霧雨が降っている。

 さっきまで晴れていたのに。

 少女はため息をつき、手元のノートに目を戻す。

 しかし何だか目の前の写真が気になる。

 少女は再び顔を上げ、壁に架けられていた小さな額縁を外し、それを手に取る。

 

 

 少女と、その家族と、晴れた空と、湖。

 何度も見たはずの写真だが、何か違和感を感じ、少女は目を凝らす。

 湖の中心に、黒い人影が見える。

 こんなものあったっけ。少女はさらに目を凝らす。

 

 

 よく見ると、黒い人影は細かく震えるように動いている。周りの水が激しく波打っている。

 どうやら溺れているらしい。人影はばたばたと手を動かし、助けを求めている。

 少女は額縁から写真を取り出す。

 一瞬どぶみたいな臭いがした気がする。

 

 

 少女は水面に顔を出してもがく人影を見つめたまま、シャープペンを手に取る。シャープペンからは少しだけ芯が出ている。

 少女はその少しだけ出ている芯の先を、人影に近づける。

 黒い人影の黒い指が、シャープペンの芯の先を掴む。

 少女は指先にかすかな重みを感じる。

 

 

 黒い人影はシャープペンの芯をよじのぼってくる。

 少女は人影を見つめながら、眉間に皺を寄せて、シャープペンを何度も激しくノックする。

 芯がみるみる伸びていき、人影はそれに押し込まれるようにして、湖の中に沈んでいく。ものすごい量の泡が湖面を揺らす。

 

 

 やがて嵐が段々と去っていくように、泡が少しずつ消えていく。

 そして人影は見えなくなり、泡も途絶える。

 少女と、その家族と、晴れた空と、湖。

 何度も見た風景が写真の中に戻ってくる。

 

 

 少女はシャープペンをゆっくり引き上げる。

 長く伸びた芯はすっかり濡れてしまっている。

 これではノートは取れない。

 少女は写真を額縁に戻し、芯をシャープペンに戻し、ふと顔を上げる。

 霧雨はまだやまない。