超短編小説 トモコとマリコ

超短編小説を中心とした短い読み物を発表しています。

掌編集・九

(一)

 

 今日はお爺ちゃんを焼いてくれてありがとう。火葬場のマスコットキャラクターがモニター越しに話しかけてくる。待合室ではスーツのお姉さんが、お父さんとお母さんに麦茶を注いでいる。

 おまけの玩具をあげますよ。モニターの下の取り出し口が低く唸りだす。お父さんはお金を払いながらお姉さんの太腿をちらちらと見ている。お母さんはひたすら携帯をいじっている。

 君のお爺ちゃんだとおまけはこれだね。取り出し口に現れたのは小さな迷路を傾けて銀玉をゴールに導くやつだった。お爺ちゃんは好きだったけどおまけの玩具はつまらなかった。だからすぐに捨ててしまった。お父さんもお母さんも別に何も言わなかった。

 

 帰りのレストランでご飯を食べているとき、お父さんとお母さんの顔を見ていたら生きているのが急に嫌になってしまった。やっぱり捨てなければよかった。つまらない玩具がお似合いの家族だと思った。皿の縁でスパゲティの切れ端がパサパサに乾いていた。

 

 

(二)

 

(夕暮れ時。調度品もない殺風景な部屋。)

(胸の大きな女が窓辺に立ち、沈んでいく真っ赤な夕陽を眺めている。)

(女はその手に小さなカゴを提げている。)

 

(ノックの音がする。)

(胸の大きな女は振り返り、カゴを部屋の隅に置いて、ドアを開ける。)

(疲れた顔の若い男が立っている。)

 

(女は微笑み、手振りで男を部屋に招き入れる。)

(男はのろのろと部屋に足を踏み入れる。)

(女はカーテンを閉める。部屋が赤黒い、腫れぼったいような闇に満たされる。)

 

(男はうつむいて部屋の真ん中に突っ立っている。)

(女は服を脱ぎ、大きな胸を露にする。そして男の手を握る。)

(男が顔を上げる。女はいつの間にか、先程より一回りも二回りも大きくなっている。)

 

(大きくなった女は、幼児に接するときのような態度で、男を抱きしめ、彼の顔を胸にやさしくうずめる。)

(静かな時間が流れる。)

(その中で、男ははじめ静かに、慎重にすすり泣き、やがて少しずつ声を上げて、最後には号泣している。)

(女は微笑んだまま何も言わないで男の頭を撫でている。)

 

(女はそっと、床に置かれた小さなカゴを自分の方へ引き寄せる。)

(カゴの中には、砂糖壷とミルク、そしてティースプーンが入っている。)

(女はまず砂糖壷とミルクを取り出し、胸に顔をうずめて泣き続ける男に、砂糖とミルクをたっぷりとかけてやる。)

(そして大きすぎる指に小さすぎるティースプーンを挟み、甘い香りを漂わせながら泣く男を、胸の中に少しずつ溶かしていく。)

(この作業はとても時間がかかる。その間、女はじっとして少しこわばった微笑みを浮かべている。)

 

(やがて長い長い時間が経ち、男は完全に、女の胸の中に消えてしまう。)

(女はいつの間にか元の大きさに戻っている。)

(女はそこで初めて、ふっと気の抜けた顔になる。)

(女の胸には甘い香りと、男の泣き声によって少し痺れた皮膚の感覚が残されている。)

 

(窓の外には夜が訪れ、部屋は暗闇に包まれている。)

(女はゆっくり立ち上がり、カーテンを開ける。)

(弱い月明かりが窓から差し込む。)

(女はため息をつき、脱いだ衣服を丸めて、それを枕にして寝転がる。)

(そして指先についていたミルクを舐め、しばらく天井を見つめたあと、諦めたように眠りにつく。)

 

 

(三)

 

 ふらりと立ち寄った定食屋のテレビは、どこのチャンネルも、同じニュースをくり返していた。

「王様が逃げた。捕らえて殺せ。」

 王様の写真が映し出された。豪奢なかっこうをしてはいるが、何だか貧相な男だった。次にカメラは城を包囲する民衆を映し出した。民衆は怒り狂っていた。そして城に王様がいないとわかるや否や、大蛇のような列をなし、警官隊を蹴散らして四方へ歩き出した。足音と怒号が、地面と空気を震わせていた。

 定食屋の老夫婦は、ぬいぐるみのプラスチックの目にも似たその丸い瞳にわくわくをいっぱいに溜めながら、テレビに釘付けになっていた。おばちゃん味噌汁いつもより薄いよと、客の誰かが不満を漏らしていた。

 

 家に帰ると、玄関のドアノブに聞いたこともない煎餅屋の名前が印字された紙袋がぶら下がっていた。紙袋の中を覗くと、王冠と杖とマントが入っていた。

 辺りを見回した。人影はない。

 もう一度袋を覗く。王冠と、杖と、マントだ。さっきテレビに映ってたやつだ。

 耳を澄ませる。遠くから熱気とともに、民衆の足音が響いてくる。

 これはまずい。つまらない人生だが、まだ死にたくはない。仕方ない。向かいのアパートの一人暮らしのおっさんの部屋のドアノブに紙袋を引っ掛けて自室に戻った。

 

 窓を開けて様子を窺っていると、夕方頃におっさんは帰ってきた。コンビニ袋をぶら下げて。

 おっさんはすぐに紙袋に気付いた。そしてその中を見て、何かちょっと考えたあと、アパートの目立つ場所でマントを着て王冠をかぶり、宝石を散りばめた杖を握りしめ、玄関の前に仁王立ちになった。

 僕は非常に驚いた。おっさんの顔はなかなか凛々しかった。これは見ものだと思った。

 民衆の気配はすぐそこまで近づいていた。しかしここに来てなかなかその姿を見せない。どうやらこの辺りに目星をつけたらしく、スピードを緩めて虱潰しに王様を探しているようだ。

 おっさんは少し困ったような顔をしていた。それから痺れを切らしたおっさんはまたちょっと考えて、コンビニ袋からカップ焼きそばを取り出し、王様のかっこうのまま自分の部屋に入っていった。

 

 しばらくしておっさんの部屋から、ベコン、という物音がした。カップ焼きそばの湯切りをしたらしい。すぐにおっさんは王様のまま戻ってきて、王様のまま焼きそばをすすりだした。実に美味そうだった。気づくといつの間にか民衆はすぐそこにまで来ていた。人の波に押しつぶされた電柱が、おっさんのアパートの方に倒れそうになっていた。

 

 おっさんは焼そばを平らげると、ソースのにおう唇をべろべろと嘗め回し、『さそり座の女』を口笛で吹きながら、安アパートの階段を玉座がわりにして、堂々たる態度で民衆を待ち構えた。誰かが大声で叫んだ。民衆がおっさんめがけて雪崩のように押し寄せてきた。僕はそこで急におっさんが羨ましくなってきて、部屋をとび出した。もちろんあの王冠とマントと杖を奪い取るためだ。しかし猛り狂った民衆はすでにアパートの前の道を埋め尽くしていて、僕は一歩も前に進めなかった。

 ふいに誰かが僕の手に石を握らせた。僕は振り返った。定食屋の老夫婦が僕に向かって親指を立てていた。

 

 むせるような熱気の中、僕は彼らといっしょに王様に石を投げた。そして僕の投げた石はおっさんの目に当たった。おっさんはシェークスピアの芝居みたいに(観たことないけど)かっこよくうずくまった。民衆がわあっと歓声をあげた。誰かが剣を抜く音がした。僕はどうしようもなく悲しくなって、王様から目を逸らし、耳を塞いで、昼間定食屋で食った蕪の漬物のことなどを思い出そうとしていた。ほどなくして耳をつんざくような大歓声があがった。