超短編小説 トモコとマリコ

超短編小説を中心とした短い読み物を発表しています。

おばけとハンドクリーム

 どうやら、部屋におばけがいるらしい。

 夜中にふと目が覚める。

 体が熱っぽい。

 私はうなされている、しかし私の声ではない。

 

 枕元の湿った畳がわずかに沈み、額が冷たくなる。

 柔らかいものが私の頬に触れている。

 ハンドクリームの匂いがする。

 

 体は相変わらず熱っぽい。部屋が一艘の舟になったように、視界はゆらゆらと揺れる。

 私は私のものではない誰かの声で、知らない名前を呼んでいる。

 

 ハンドクリームの匂う柔らかいものが、頬から首へゆっくり移動する。

 頭の上から歌がきこえる。

 薄い鐘の音のような声だ。

 

 月がどうとか歌っている。

 いや、あれは歌っているんじゃない。

 物語を読んで聞かせているのだ。私に。

 

 旋律だと思ったのは、懐かしい感じのする訛りらしい。声は、月がどうとか龍がどうとか、途切れ途切れに、朦朧とする耳の奥で、いつまでも、そんなことを、えんえんと語っている。

 

 しかし私の体は際限なく熱を帯び、心臓の奥の方がどんどん冷たく、堅くなっていく。

 私はもう一度、私のものではない誰かの声で、さっきの名前を呼んでいる。

 柔らかいものが私の手をぎゅっと握りしめる。

 終わりだと感じる。空気の塊が喉の奥からふっと抜け出す。

 

 気が付くと朝になっている。

 体の調子は何ともない。

 ハンドクリームの匂いは消えて、嗅ぎなれた煙草とスナック菓子の匂いが朝の光の中に漂っている。

 

 どうやら、部屋におばけがいるらしい。

 私は少し汗ばんだ手で、心臓の辺りをまさぐってから、何事もないように仕事へ向かう。