超短編小説 トモコとマリコ

超短編小説を中心とした短い読み物を発表しています。

象さんの幽霊

(夏のある日。墓地。立ち並ぶ墓石が、強い日差しを浴びてきらきらと輝いている。)

(妙齢の女が一つの墓石に向かって静かに手を合わせている。)

(その後ろで、女の幼い息子が退屈そうに、乾いた地面に這う羽蟻を眺めている。)

 

(ふいにずん、と地響きがする。少年が顔を上げると、半透明の大きな塊が墓地の入り口に立っている。)

(長い鼻、平たい耳、優しい目。大きな塊の正体は象さんの幽霊である。)

(少年は母親を振り返る。母親は未だ墓石に手を合わせている。地響きにすら気づいていない様子。)

(象さんの幽霊はゆっくりと、林立する墓石をすり抜けながら、見えない砂埃を立てつつ、母子の方に近づいてくる。少年の体が思わずこわばる。)

 

(象さんの幽霊はちらりと少年に目を向け、少年の母がじっと手を合わせている墓石の隣の、風雨と年月によってすっかり黴臭くなってしまっている墓石の前で立ち止まる。そしておもむろに右の前足を持ち上げる。少年はあっと息をのむ。巨大な判子にも似た象さんの足の底に、紙のようにぺらぺらになった男の幽霊が張り付いている。)

(象さんの幽霊はぺらぺらの男の幽霊を、その長い鼻で慎重に慎重に剥がし取ると、椅子の背もたれにコートを引っかけるように、墓石にそっと引っかけ、ほっとした表情で墓石を後にする。少年が目で追っていると、象さんの幽霊は墓地の入り口辺りで、煙が散るようにすーっと消えていなくなってしまう。)

(少年は母を見る。母は手を合わせたままぶつぶつ墓石に何か語りかけている。少年はそれを確認すると、母に悟られぬようそっと隣の墓石の前に立ち、風に吹かれて揺れているぺらぺらの幽霊に、まるで重大な秘密を打ち明けるかのような口調で、そっと話しかける。)

 

 ……おじさん、ぺらんぺらんだよ。

 

(ぺらぺらの幽霊はそっと答える。)

 

 ……象に、踏まれたからね。

 

(と、強い風が吹き、ぺらぺらの幽霊は墓石からずり落ちてしまう。少年は母親の様子を伺いつつ、地面に落ちていた小ぶりの石を拾い、それを重石にして幽霊を墓石に再び引っかけてやる。少年はほっとした顔。と、)

 

 こら、何してるの。

 

(いつの間にか母親が少年の背後に立っている。)

 

 いたずらしちゃダメでしょ。ここに眠ってる人に怒られるよ。

 

(母親は墓石の上の小石を除ける。ぺらぺらの幽霊がまたずり落ちそうになる。少年はそれをはらはらした目で見ている。)

 

 帰りね、叔母さんとこでお蕎麦食べてこ。ね。

 

(少年は曖昧に頷きながら、母親が木桶を片づけるために少年から目を離した一瞬の隙を突き、小石を元の場所に戻す。少年は再びほっとした表情に戻る。)

 

 さ、行こうか。

 

(母親に手を引かれ少年は墓石の前から立ち去る。そして墓地の入り口に差し掛かったところで、後ろから声をかけられる。)

 

 ……ありがとね。

 

(少年は振り返らず、片手で親指をぐっと立て、墓地を後にする。誰もいなくなった墓地の隅で、ぺらんぺらんの幽霊が、夏の風に吹かれて揺れている。)