超短編小説 トモコとマリコ

超短編小説を中心とした短い読み物を発表しています。

丘と綿毛

 小さな部屋の、白いベッドに、目覚めない男が寝ている。春の丘をはめこんだ窓は目いっぱい開かれ、薄いカーテンが風を孕んでいる。

 目覚めない男の傍らに、色白の女が座って果物を剥いている。女は剥き終えた果物を小さく切り分け、目覚めない男の口元へ差し出す。果汁が果物の曲面に沿って滴り落ち、目覚めない男の頬に弾ける。そういう無意味な時間が流れ、女は切り分けられた果物を、諦めたようにゆっくりと噛み砕く。

 ふいに窓から吹き込む風向きが変わり、目覚めない男の布団をめくる。胸の上で組まれた男の細い指の先に、綿毛が生えていることに、女は気づく。

 女はそっと目覚めない男の指を手に取り、開かれた窓の外へ、綿毛を吹く。

 綿毛は緩やかな風に揉まれながら、窓の向こうに広がる丘に向かって、飛んでいく。綿毛はやがて丘に着き、陽を浴び土の養分を吸って、みるみる男の姿になった。一部始終を見ていた女は、喉の奥であっと叫んだ。

 綿毛から生まれた男は丘の上から、女に向かって手招きをする。

 目覚めない男がどこかに忘れてきてしまった子供っぽい笑顔を顔中に湛えて、丘の上の男は部屋の中の女に向かって、手招きをする。

 女は思わず窓からとび出し、丘に向かって走り去る。

 目覚めない男と、綿毛が抜けて枯れてしまった指を残して、部屋には、誰もいなくなってしまった。