超短編小説 トモコとマリコ

超短編小説を中心とした短い読み物を発表しています。

海と生贄

 今年の生贄に選ばれたのは僕の母だったので、二人で海を見に行った。

 言葉もなく、僕らはじっと海を見ていた。どこかの家から途切れ途切れの、野球中継の音が聞こえていた。僕はぼんやりそれを聞きながら、隣の母を見た。右と左で大きさの違う母の目に、カモメが漂っていた。

 「少し歩こう」とふいに母は立ち上がり、どこからやってきたのかわからない小石を、つま先で蹴りながら、海を横目に北へ歩きだした。

 僕はとつぜん、母と反対方向へ進みたくなって、小さくなっていく母に背を向け、南へ歩きだした。すると先の方に人だかりが見えた。僕は目をこらした。

 映画みたいに美しい砂浜にブルーシートで覆われた大きな何かがふうふうと息をしていた。

 僕は去年もその前も同じものを見た。そのたびに町から人がいなくなった。次の日は必ず快晴だった。誰のせいでもないのだと、町の誰もが呪文のように繰り返していた。

 そんなことを思い出していると、いつの間にか隣に母が立っていた。僕は母を見た。母は砂浜を見ながら、唇をわずかに開いて何か言った。しかし母の声は、海風にかき消されて何も聞こえなかった。

 確かに何も聞こえなかったのに、僕の口から「そんなもんだよ」という言葉が自然とこぼれ出た。

 母は満足げに頷き、「洗濯物とか、よろしくね」と言うと、ゆっくり砂浜へ歩きだした。