夜、いつもの薬を飲んでベッドに入る。傍らにはお母さんがいて、僕が眠るまで編み物をしている。お母さんの横には小さなランプが灯っていて、部屋の白い壁には、僕とお母さんの影がゆったり映っている。
僕はお母さんの指先を見つめている。お母さんの指は細くて綺麗だ。遠い昔、ピアノを弾いていたのだという。
お母さんと他愛のない話をしているうちに、夜が深くなり、うつらうつらしてくる。このまま眠れればいいのだが、すると決まって嫌な音の咳が出る。薬が効いてきたのだ。
お母さんが編み物の手を止める。僕は胸の奥が苦しい、声が出ない。
やがて激しく喉が波打ち、奥から苦い煙の塊が次々と吐き出される。
煙は本当には見えない。ただ煙の影だけが、壁に映っている。煙の影は生き物のように、壁の中をのろのろと動き回っている。時折僕の顔を見て、笑っているようにも見える。
僕はお母さんを見る。お母さんは壁を見ながら、両手をゆっくり僕の顔の上にかざし、そのまま何かを握るような仕草をする。
壁の中では、お母さんの指は、太くて、毛むくじゃらで、ごつごつしていて、猿の親玉の指みたいに見える。その太い指の中で、捕らえられた煙の塊がぶるぶると震えている。
お母さんが指先に力を込める。煙の塊はぷつんと動かなくなる。
部屋は突然静けさを取り戻す。
お母さんはため息を一つつき、ランプを消して、いつもの綺麗な指で僕の頬を撫でると、おやすみと言って部屋から出て行く。眠りに落ちながら、僕はお母さんがピアノをやめた理由について考えるが、いつも答えは出ない。