超短編小説 トモコとマリコ

超短編小説を中心とした短い読み物を発表しています。

皮と鏡

 昨晩はひどい雨が降ったが、今朝は信じられないくらい晴れていた。遠くで、濡れた道を出勤の車が走る音がしていた。
 洗面台で顔を洗っていると、目の前に据え付けられている鏡の向こうでかすかに人の気配がした。良く日を吸ったタオルで顔を拭き、鏡を覗くと、鏡の中の私が皮だけになって、うつ伏せに洗面台に覆いかぶさっていた。どうやら空気が抜けているらしかった。人の気配は消えていた。
 歯を磨くために蛇口をひねると、こちらでは排水口に渦を巻いて消えていく水道の水が、あちらでは、砂丘のように波打った皮にぶつかり、パラパラとトタン屋根に雨粒が落ちるような音を立てた。そしてそのたび、滴が床に飛び散った。はっとして床を見たが、こちらの床は濡れていなかった。何となく、雨の日の校庭に置き去りにされた、運動会のテントを思い出した。
 ひとまず蛇口を締めると、鏡の中の水は止まったが、しかし私の皮はそのままで、水に濡れた部分が朝の日にきらきらと輝いていた。いつまでもそのままでいられても困るので、鏡を指でこつんと叩いてみたが反応はなかった。
 歯を磨き、おそるおそる歯磨き粉を洗面台に吐き出すと、少し間があって、皮の下から歯磨き粉がぬるぬると不気味な線を描きながら垂れてきた。それを見ているとうんざりした気持ちになった。出勤の時間も迫っていたので仕方なくそのままにして、手探りで髭を剃って家を出た。その日はずっと剃り残しが気になってしょうがなかった。

 仕事終わりにホームセンターに立ち寄り、空気を入れる簡易なポンプを買ってから、家に帰った。気休めかもしれないけど、と思いながら包みを剥がし、洗面台の電気を点けた。鏡の中で人の気配がした。見ると、鏡の中の私の皮が、きちんと折り畳まれてタオル掛けに掛けられていた。