超短編小説 トモコとマリコ

超短編小説を中心とした短い読み物を発表しています。

トゲと鯨

カーテンを開けると、空が赤黒かった。寝ぼけているのかと思い、目をこすったが、やっぱり赤黒い。テレビを点けてみると、僕が眠っている間に、僕の町が丸ごと鯨に飲み込まれてしまったというニュースが流れていた。赤黒く見えているのは、鯨の胃の壁らしい。
 時計を見ると夜の7時で、僕はデートの約束を思い出した。あと30分しかない。慌てて身支度をして、家を飛び出した。
 町の様子はいつもとさほど変わらなかった。バスも靴屋もサラリーマンも、昨日と同じ場所にいる。皆何となく浮き足立っているようにも見えたが、それはきっと僕も同じだ。ただ空だけが赤黒く、凸凹した肉の塊があちこちでのんびりと蠢いていた。
 この様子ならきっとあの子も来てくれるだろう。そう思いながら街灯に寄りかかってあくびをしていると、突然耳鳴りがして、胸が熱くなった。道の向こうのショーウィンドウに、大きな鉄のトゲで胸を貫かれた僕が映っていた。どうやら鯨に打ち込まれた銛らしい。
 トゲの先端には、空と同じ色をした僕の心臓が刺さっていた。銛は僕から心臓をどんどん遠ざけて、ショーウインドウに押し付けると、またゆっくりと戻ってきて、心臓を元の場所にすっぽり納めて引っ込んだ。振り向くと、鯨の腹に穴が開いていた。穴は昨日までの空の色をしていた。鯨の咆哮が遠くで聞こえて、世界がぐるりとひっくり返った。その拍子に心臓がどこかに飛んでいってしまった。どうしようもないのであくびを続けて、次の朝まで眠ることにした。