超短編小説 トモコとマリコ

超短編小説を中心とした短い読み物を発表しています。

鍋と歯

 朝早く目が覚めたので近所を散歩していると、ごみ捨て場に鍋が落ちていた。見たところまだ綺麗で、手に取ってみると大きすぎず小さすぎず、一人暮らしの私にはぴったりのサイズだった。底の方に小さな傷がついているものの、ほとんど新品のようだ。
 さっそく持ち帰って中を洗い、大根の味噌汁を作った。ぐつぐつと湯が煮える音の向こうで、どこかの家の戸が開く音や、テレビの声がぽつぽつと聞こえ出した。台所の物の影がだんだんと濃くなって、少し冷たい風が窓から吹き込んできた。朝が始まる瞬間に立ち会うのは久しぶりだった。柄にもなく爽やかな気分になり、勢いで卵焼きまで作ってしまった。
 しかし、昨晩残った飯をレンジで温めつつ、鍋の蓋を開けると、明らかに味噌汁の量が減っていた。やはり底に小さな穴でも開いていたのだろうかと思い、慌ててコンロを見ても、何かがこぼれたような跡はなかった。とりあえず残った分をたいらげ、鍋を洗って調べることにした。爽やかな気分はすっかり削がれてしまっていた。
 洗剤を泡立てたスポンジを鍋に突っ込んで磨いていると、不意に指先に違和感を感じた。見ると、鍋の底に子供の口があって、柔らかい歯で私の指を食いちぎろうとしていた。



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