超短編小説 トモコとマリコ

超短編小説を中心とした短い読み物を発表しています。

掌編集・一(餌と檻)

(一)

 

 ホームレスだが、猫を飼っている。どんな時でも友達は必要だ。

 ある日、この猫がねずみを三匹捕まえてきた。よく見ると、それぞれ目を閉じ、耳を塞ぎ、口をおさえている。猫は涎を垂らしながらも、心配そうな顔をしていた。

 構わず天ぷらにした。どいつも同じ味だった。

 

 

(二)

 

 恋人からもらったラブレターに、植物の種が同封されていた。さっそく庭に撒くと、一月くらいしてから芽が生えてきた。

 ところが、どんな花が咲くのだろうかとわくわくしていた矢先、目を離した隙に、寝室で飼っている牛が芽をむしゃむしゃと食ってしまった。少し腹が立ったが、深くは問い詰めないことにした。芽を食べてしまった気持ちもわからなくはない。

 年老いたこの牛には子がない。乳は張っているのだが、どういうわけか子牛はとうとう生まれなかった。殺すのも可哀相だからうちで飼うことにしたのだ。彼女は毎朝誰に飲ませるあてもない乳を出す。それをトイレに流すのは私の役目だ。

 牛は夜になるとベランダに出て、神妙な顔で空を眺めている。たぶん流れ星を待っているのだと思う。

 

 

(三)

 

 兄の墓石を洗わなければいけないと思い、布団を出た。兄は家の裏手の墓地に眠っている。ときどき洗ってやらないとあの世に行ってから文句を言われるかもしれない。

 寝巻きの上に軽く羽織っただけの格好で墓地に行くと、兄の墓の周りを大きな動物がうろうろしていた。

 虎だ。しかし、遠目からでも老いていることがわかったので、桶やらたわしやらを持ったまま堂々と近づいた。案の定虎は皺だらけで、牙もほとんど欠けている。手足も妙にひょろ長いし、私でも素手で勝てそうだ。

 たわしを水で湿らせていると、不意に虎と目が合った。私と墓とを交互に見ながら、物欲しそうな顔をしている。不審に思い墓を見ると、長く手入れしなかったせいか、墓の隅のところが少し腐りかけていた。虎はこれを狙っていたのか。

 消毒薬と包帯を取りに家に戻ろうとしたが、私が今去ったら虎は墓をかじり取ってしまうだろう。家の者を呼ぼうと声をかけたものの返事はない。まだ眠っているらしい。仕方なく虎から目を離さないようにしてじりじりと家の勝手口まで近づき、素早く戸を開け、ダッシュで寝室に向かい救急箱を手に取った。しかし急いで墓に戻ろうとする途中、廊下の蛍光灯が突然パチンと音を立てて粉々に弾け飛んだ。遅かったようだ。慌てて墓地に行くと、虎は丸々と太った体を揺らしながら、立ち並ぶ墓石の間に溶けるように消えていった。

 

 

(四)

 

 刑務所の同じ房にウサギが入ってきた。珍しいこともあるもんだと話しかけてみたが、鼻をひくひくさせるばかりで何も答えない。ウサギだからある程度は仕方ないが、何をしてここに来たのかくらいは教えてくれてもいいものだと思った。
 夜、ベッドに潜り鉄格子の向こうを見上げると、ぽつんと浮かぶ月に血がべったり付いていた。

 

 

(五)

 

 授業中に小便を漏らしてしまった。ずっと我慢していたせいか、小便はいつまでも止まらなかった。教師も同級生たちも、足首まで私の小便に浸かりながら、私をにやにやと眺めている。そのうちちんこの先から蛇が飛び出して、小便の中を泳ぎはじめた。私はいよいよ恥ずかしくなって、机に突っ伏してしまった。何気なく好きなあの子を見ると、隣の男子と蛇の柄が綺麗だとかそんな話をしていた。

 

 

(六)

 

 食い扶持を減らすため、双子の弟を売りに出したら、すぐに買い手がついた。

 買い手の少女はとても僕好みのかわいい娘で、弟と入れ替わろうかとも一瞬思ったが、既に弟は睡眠薬でぐっすり眠ってしまっているので諦めた。

 少女は遠い町から自転車で来たというので、弟を運ぶのを手伝うことにした。道中少女と様々な話をした。郊外で父親と二人暮らしらしい。弟を買ったのも本当はこの父親だが、わけあって外出できないのでかわりに彼女が引き取りに来たのだという。

 たどり着いた少女の家はお世辞にも綺麗とは言えないアパートだった。人を買う余裕があるとは思えない。扉を開けると小汚い玄関があり、粗末な台所と、その奥に狭い居間が見えた。居間には巨大な檻が置かれており、敷き詰められた藁の中で中年男性が眠っていた。

 「中に置いてください」と少女が檻の鍵を開けながら言ったのでその通りにすると、少女は男性の肩をゆすって「届いたわよ」と囁いた。男性は目を覚まし、おもむろに立ち上がった。藁に埋まっていてわからなかったのだが、彼の下半身は白馬だった。ふさふさとした尻尾と、たくましい男根が私の目の前で揺れていた。「こちら、父です」と少女が私に男性を紹介した。男根を見つめたまま「あぁ、どうもどうも……」と間の抜けた返事をすると、父親はこちらを振り返り、実に爽やかな笑顔で私に頭を下げ、弟に目をやり、満足そうに頷いてその尻を撫で回し始めた。

 「あとはお父さんの問題だから」と言う少女に手を引かれるまま檻を出た。檻を振り返ると、父親が手に何か塗りこみながら弟の腰に鼻をこすりつけていた。思わず目をそらした瞬間、気を遣ってくれたのか、少女が檻に黒い幕をかけてくれた。すぐに幕の向こうから、父親の荒い息遣いと、弟の悲鳴が聞こえてきた。

 恐ろしくなって帰ろうとすると、少女が後ろから抱き付いてきて、私の股間をまさぐりながら、「あたしはあなたがいいな」と熱い吐息とともに耳元で囁いた。とても不安だったが、「今のところだけ切り取るとエロゲーみたいだな」ともちょっと思った。

 

 

(七)

 

 僕の柵を飛び越えた羊たちが、向こうの丘に集まって宴会を開いている。一仕事終えたあとの打ち上げみたいなものだろう。

 しかしどういうわけか、僕は中途半端な場所に取り残されてしまった。眠りに落ちるでもなく、目覚めるでもなく、どうにも居心地が悪い。羊たちに聞けば何か対処の仕方がわかるかもと思ったが、宴会が盛り上がってきてカラオケが始まってしまったので、水を差すのも悪いと思い、丘を背にして歩き始めた。このまま待っていればいつも通り母さんが起こしてくれるはずだが、ここに居て果たしてそれに気づくことができるか不安だった。

 しばらく歩いていたら、自動販売機が三台並んでいた。商品サンプルも小銭を入れる場所もなく、ただボタンが一つ埋め込まれているだけだったが、中に母さんがいることはすぐにピンときた。三台あるということは、バラバラになっているはずだ。きちんと組み立てられるだろうか。

 

 

(八)

 

「こんにちはー。すいませーん。健一君の担任の内田ですー」

「先生」

「あ、健一君。お庭にいたのね。元気だった?」

「うん……」

「急に学校に来なくなっちゃったから心配したのよ。はい、これ授業のプリント」

「ありがとう」

「お父さんか、お母さんいる?」

「お母さんは元々いないよ」

「あ、ごめんなさい……じゃ、お父さん、今いる?」

「いるけど、話しかけても無駄だよ」

「どういうこと?」

「お父さん、猿飼ってたんだ」

「猿?」

「うん。猿飼ってたの。オスの猿なんだけど、女の人の格好させて飼ってたの。こないだ、その猿が死んじゃってね。それから、お父さん、部屋から出てこなくなったの。ご飯も作ってくれないし、洗濯もしてくれないの。だから部屋を覗いたらね、お父さんが死んだ猿の横に座ってね、猿に殺虫剤かけてたの。ほら、腐るでしょ? だから蝿が寄ってくるんだけど、それが嫌だから殺虫剤かけてるの。でもどんどん腐るから、お父さん忙しいんだと思う」

「で、健一君は何で学校に来ないの?」

「お父さんが心配だから」

「本当のこと言いなさいよ」

「先生の口が臭いから」

 

 

(九)

 

 頭が痛いのでレントゲン写真を撮ってもらったところ、頭蓋骨の内側を、犀の群れが歩いていた。

「歩いている音に気がつきませんでしたか?」

 医者にそう言われたので神経を集中させると、確かに犀の足音と頭蓋骨がきしむ音が脳天から直接聞こえてくる。しかし、指摘されなければ気にも留めなかったようなかすかな音だ。医者の話に集中しようとすればするほど、もう犀の足音が気になって仕方がない。

「それから、犀のツノが脳を傷つけていますね」

 驚いてCTスキャンだか何だかの写真を見ると、確かに犀どもの長いツノが脳味噌にいくつもの細かい傷をつけていた。

「最近何か変わったことは? 物忘れとか……」

 そう言われてみると、心当たりがあるような気がしてきた。何だろう。家族や友人の顔を思い出してみた。皆名前もわかるし、誕生日も覚えている。昨日食べた夕飯、一昨日の夕飯も全て答えられる。職場の場所も、娘の彼氏の顔も思い出せる。何だ。何を忘れているんだ。あれだけの傷がついているのだから、問題が起こっていないわけがない。医者は心配そうな顔で俺を見つめている。くそ。犀のことなんか知らなければよかった。

 何だ。俺は何が問題なんだ。考えようとすればするほど、涙が溢れてきた。足音は右のこめかみの辺りをうろうろしている。耳障りな音だ。そしてこうしている間にも俺の脳はどんどん傷つけられているのだ。本当に、犀のことなんか知らなければよかった。

 

 

(十)

 

 昔、近所にみんなのおもちゃを取り上げるガキ大将がいた。とにかく何でもかんでも奪い取ってしまうので、一度おもちゃを取り返そうと、彼の家に忍び込んだことがある。

 その時彼の家族はみな留守で、家の中は静まり返っていた。一つ一つ部屋を覗いてみたが、おもちゃはどこにもない。諦めかけたその時、庭から動物の鳴き声がした。

 庭に行くと、古い物置が建っていて、鳴き声はその中から聞こえてくる。扉を開けると、私の物も含めた大量のおもちゃが山積みされており、その奥に豚が鎖でつながれていた。豚の足元には私の電車の模型が落ちていた。拾い上げると、車両が一つ足りなかった。

 豚に目をやると、口元にパンタグラフの欠片がくっついており、歯には血が付いていた。突然恐ろしくなり、慌てて山の中から自分のおもちゃを掴み取り、物置を飛び出した。扉を閉めたとき、扉にマジックで「妹?」と書かれていることに気づいた。

 

 

(十一)

 

 女の死体が咳き込んだ。

 見ると、女の背中を一匹の金魚が這っていた。金魚はぬるぬるするから、きっとくすぐったいのだろう。女に近づくと、世界で一番甘い果物を腐らせたような匂いがした。殺す前より色っぽくなったように思われた。

 女の背中にはどんどん金魚が集まってくる。大きさはまちまちで、指を出したら食われるかもしれないと思うほど大きなものもいた。しばらく白い肌と色とりどりの金魚のコントラストに見とれていると、そのうち窓の外で雨が降り出した。

 そろそろここを離れなければいけない。せめてこの部屋が水槽になるよう、窓とドアを開け放していくことにした。雨は音もなく降り続けていた。

 

 

(十二)

 

 インターネットで漫画を注文したが、実際に届いたのは古ぼけた文庫本と虫眼鏡だった。表紙には何も書かれていない。どうやら店の手違いらしい。問い合わせると案の定送り返してくれとのことだった。

 段ボールに入れる直前に何気なくパラパラとめくっていると、白紙のページがずっと続いたあと、唐突に小さな手のひらが現れた。絵でも写真でもない。どうやら本物の手のひらを薄く切り、貼り付けたもののようだった。

 手のひらは随分黒ずんでいた。指が6本あり、全体に細かい産毛が生えていた。産毛は陽にかざすと銀色に光った。ヒトの手ではないようだ。虫眼鏡で観察してみると、手相に見えていた皺の一本一本が干上がった川であることに気づいた。底で魚や蟹が何匹も死んでいる。

 私は純粋な親切心から、スポイトで川に水を流した。

 数分経ってからもう一度見てみると、川の周りがすっかり賑やかになっていた。川の縁に木々が植えられ、その周辺には民家が立ち並んでいる。人々の往来も見えた。

 自分が潤した川が活気付いているのを見ているうちに、本を送り返すのが急に惜しくなってきた。このまましばらく観察してやることに決めた。

 数時間後、再び虫眼鏡で覗いてみると、川は工業地帯から流れてくる汚物で異臭を放っていた。木や茂みは枯れて虫が湧いているし、川沿いの家では人も死んでいるようだ。ひどい有様である。ちゃんと見ていればよかったと思ったその時、川の隅で何かがはねた。黒っぽく湿った生き物だ。小さすぎて確証は持てないが、手足と尻尾のようなものもくっついている。

 黒い生き物はしばらく水面を跳ねたあと、再び川の中に潜ってしまった。

 今のは一体何だったのか考えていると、黒い生き物がいた近くの枯れた茂みがガサガサと動き、中から老人が現れた。老人は、竹の先に鉤のついた器具を手に構えたまま、姿勢を低くして川を見つめていた。しばらくすると黒い生き物が水面に浮かび上がってきた。

 その刹那、老人が驚くほど素早い身のこなしで器具を振り回し、鉤で黒い生き物を絡めとって川原に叩きつけた。黒い生き物は尋常じゃない様子でギィギィという不快な鳴き声を上げていたが、水の中にいないと動けないらしく、老人に抵抗する様子は見せなかった。老人は片手で黒い生き物の体を地面に押さえつけると、懐から包丁を取り出し、黒い生き物の腕を切り取ってしまった。黒い生き物の鳴き声が徐々に小さくなっていった。

 老人は黒い生き物を掴み、川に放り込むと、その場にあぐらをかいて切り取った腕をしげしげと眺めた。そして腕の先から、手のひららしき部分を切り落とし、薄くスライスし始めた。その背後で、黒い生き物の死体が下流に流されていくのを、私はいつまでも眺めていた。