超短編小説 トモコとマリコ

超短編小説を中心とした短い読み物を発表しています。

川と靴

 毎日夕方になると、町の中心を通る川の水面に、小さな靴が現れる。
 水底から浮き上がってくるわけでもなく、空から落ちてくるわけでもなく、気がつくと水面に靴だけがちょこんと置かれている。ピンクの子供靴で、側面に相当古い漫画のキャラクターが描かれている。右の靴紐はずっとほどけたままだ。

 靴が現れると、町の人々は夕飯の支度に取り掛かる。律儀なやつで、毎日だいたい同じ時間に現れるのだ。
 靴はしばらくその場に佇み全身に夕日を目一杯浴びたあと、川の上流に向かってゆっくり歩き始める。ちいさなしぶきでつま先を濡らしながら、立ち止まることなく歩き続ける。水面を叩く音は弱々しいが、リズミカルでどこか楽しげだ。
 一度、目的地を突き止めようと後を尾けた人がいたが、夕日が沈むと同時に、溶けるように消えてしまったのだという。
 時々子供がいたずらで石を投げたりするが、絶対に当たらない。必ずタイミングよく魚が跳ねて、石が当たるのを防いでしまうからだ。しかし、川に魚が泳いでいるのは誰も見たことがない。

 昔、まだ年号が昭和だった頃、靴はある夏の日の夕方に突然姿を現したそうだ。人々は首を傾げたが、悪さをするわけもないので、結局そのままにしておくことにした。
 一時期は雑誌やテレビの取材がひっきりなしに来ていたらしいが、すぐに飽きられてしまった。たぶん幽霊とか超常現象とか、そういう類のことなのだとは思う。だが、不思議と不気味な感じはしない。

 幼い頃からこの町に住んでいた父は、靴を見ると心が落ち着くという。しかし父に限らず、この町の誰もが、少なからず同じ感覚を抱いている。誰もそのことを口にしないが、誰もがそのことを知っている。

「私が死んだら、あの靴もいなくなってほしい」
 と父に話したことがある。
「俺もそう思ってる」
 と父は笑っていた。