超短編小説 トモコとマリコ

超短編小説を中心とした短い読み物を発表しています。

指と金魚

 息子が縁日で金魚をすくってきた。
 金魚鉢に移して眺めていると、丸い腹の真ん中辺りから、白くて細い虫のようなものが突き出ていることに気づいた。それは人の指だった。
 息子に教えると、興味深そうに金魚を観察し始めた。息子は実に間抜けな顔をしていた。

 金魚はみるみる大きくなった。それに合わせて指も成長していった。女の子の指だった。綺麗な形をしていた。
 指と金魚はお互いに無関心なようだった。指は基本的にブラブラしていたが、ときどき思い出したように金魚鉢の壁を撫でたり、水面を小さく叩いたりして暇をつぶしていた。金魚は日がな一日狭い鉢の中を不安そうに泳ぎまわるだけだった。
 私は指が一本でよかったと思った。二本だったら水草を抜かれてしまうからだ。
 息子は学校から帰ってくるとすぐに金魚鉢の前に行き、夕飯の時間までじっと指を観察するようになった。私は息子を見ながら、

「彼は死ぬだろう」
 と思った。息子は実に間抜けな顔をしていたのだ。

 金魚はある程度まで成長し、それ以上大きくなることはなかったが、指の方はどんどん女らしくなっていった。ある日私は鉢の水を取り替えるとき、指をつかまえて赤いマニキュアを塗ってやった。
 それなりに気に入っていたが、ある夜、夫の亀頭にそっくりな色をしていると気づいて、それからは使わなくなっていたマニキュアだった。
 指は嬉しそうだった。その日はずっとそわそわしていた。

 そして息子は案の定、目に見えてやつれてきた。それに反して目だけは爛々と輝いていた。型通りの不気味さだった。
 息子は金魚鉢を人目につかない場所に隠した。本当につまらない男だ。私と指だけがそう思っていた。息子はご飯も食べなくなった。学校にも行かなくなった。夫は心配し、友達は色々なことを噂し、医者は首をかしげ、担任の先生は変な詩集みたいな絵本みたいな本を持って見舞いに来た。その変な本はすぐ捨てた。

 しばらくすると息子の肌が砂っぽくなってきた。喉をしきりにさすっているので見てみると、喉仏が出る予定の辺りが、水で濡れていた。
 私は指を見た。
 指はつんと澄ましていた。
 息子の唇が濡れているときもあった。私は放っておくことにした。息子と指の問題だからだ。

 ある夏の午後、長い長いお天気雨が続いた。綺麗だった。洗濯物を干しっぱなしにしてあることに気づいたが、取り込まなかった。
 お天気雨が、町や洗濯物を清めてくれるような気がしたからだ。
 清める?
 わからないけど。
 家のどこかでドサリと音がした。私は息子の様子を見に行った。息子は股間をおさえて冷たくなっていた。私は救急車を呼んだ。
「雨が止んでから来てください」
 と伝えたが、その通りになるかどうか。

 私は金魚鉢を見た。金魚ははち切れんばかりの体を持て余しながら、不安そうな顔で水の中を泳いでいた。指は満足そうな顔で眠っていた。
 私は金魚鉢をそっと台所に持っていった。指をしばらく眺めたあと、ガラスをこんこんと叩いた。指が目を覚ました。
 その瞬間私は金魚ごと指を掴み上げ、まな板の上で細かくしたあと、夕べの残りの麻婆豆腐に混ぜて食べてしまった。