トモコとマリコ

超短編を中心とした短い読み物を発表しています。

荒野の一人

自由の女神の欠片、モナリザの欠片、西瓜畑の欠片、私の住処の傍を流れる濁った川に、今日も様々な欠片たちが浮き沈みしている。 何もない荒野の中心でひざを抱え、この川を眺めるのが、今の私の唯一の日課だ。 私の欠片は、まだ見つからない。

帰る人たち

近所の公園の隅にある池で水死体が発見された。 今年に入って五人目だ。 以前は何の変哲もないただの池だったが、ある日とつぜん水が白く濁りはじめ、その直後から水死体が頻繁に上がるようになった。 近所の人たちの話によると、死体はみな男性で、一人暮ら…

黄金の街

雨の日が好きです。 私を街に近づけないために撒かれたあの薬が、少しだけ薄まるからです。

四月の夜の夢

私がまだ若かった頃、当時勤めていた幼稚園に泥棒が入ったことがあった。 ちょうどその前日に月謝を集めて金庫に入れたばかりだったので、関係者総出で盗まれたものを調べたのだが、何度確認しても、盗まれたのは園児たちが描いた家族の絵だけだった。 色々…

風に吹かれて

9割引き。 7割引き。 半額。 3割引き 1割引き。 額に重ね貼られた派手な色のシールを一枚一枚剥がしていき、最後に現れた少し湿った肌を指で撫でた後、その人はビルの屋上からゆっくり飛び降りた。

すれちがい

近所の自販機の横にある空き缶用のゴミ箱には、「指をつかまれても無視してください」という注意書きが貼られている。 何度もためらったような煮え切らない文字で、ただその言葉だけが書かれている。 仕事の行き帰りにその自販機を頻繁に利用するのだが、注…

夢で逢えたら

旅行鞄が欲しい、ピアノが欲しい、猫が欲しい、キャットタワーが欲しい。 彼女にそう言われるたびに僕は頭を切り開き、頭蓋骨の隙間に彼女がリクエストしたものを詰めていく。 ドレスやピアスはまだよかったけど、ピアノやキャットタワーになるとさすがにヘ…

レイン、レイン

いつまでもやまない雨にため息をつきつつふと窓の外を見ると、マシンガンを構えたカエルの群れが、向かいの家の軒下に吊されたてるてる坊主を蜂の巣にしていた。

皮と風

ほとんど食べ残された私の皮が、すっかり萎んで流し台に捨てられている。 同じ家にいるはずなのに、もう三ヶ月も彼と顔を合わせていない。 今日も私は出来たばかりの皮を剥ぎ、彼の使っているお箸を添えて、彼の部屋の前にそっと置く。 物音一つしない家の中…

食物連鎖

ワイングラスの中で揺れる私の魂を、その男はしげしげと眺め回していた。 どうやら食べられるところを探しているらしかった。 男は長い時間そうしていたが、振り子時計が鳴る音とともに突然諦めたような顔になり、執事に小さなスプーンを持ってこさせた。 そ…

腕と光

私の左腕は夜になると光り出す。 それは暖かい朝の光だ。 耳を当てれば市場らしき喧噪や子どもたちの声、そしてかすかに波の音が聞こえてくる。 どうやら私の左腕の皮膚の下は、誰かの気まぐれによって、どこか遠い国とつながっているらしいのだ。 左腕の中…

ゆうべの歌

ゆうべの私の鼻歌に誘われてきたらしい一艘の船が、浴槽の残り湯にぽつんと浮かんでいた。 またやってしまった。 船の上の人々は、ぼんやり立ち尽くす私を見上げてぴーぴー何かわめいているが、申し訳ないけど私にはどうすることもできない。 なるべく船の方…

決心

初めて彼女とホテルに行った。 シャワーを浴びて僕の前に立った彼女は、右のわき腹に蝶つがいが取り付けられていた。 「背中にはあまり触らないでね」 そう言って彼女は僕をベッドに押し倒した。 僕は曖昧に頷き、彼女の胸に顔を埋めた。 ノックの音のような…

鯨とイソギンチャク

胸に造花を飾った鯨が体育館をゆっくり泳ぎ回りながら、低く張りのある声で堂々と送辞を述べている。 体育館には卒業生たちのすすり泣く声が聞こえ始め、やがて鯨の目からこぼれた涙とともに、万雷の拍手が響き渡る。 その音を遠くに聞きながら、イソギンチ…

慕情

俺の住む町の海岸にある日、大量の手紙が流れ着いた。 町の人々がそれを拾い集めて読んでみると、そこには覚えたてらしいたどたどしい文字で「わたしのこどもをかえしてください」と書かれており、傍らに幼いクラゲの絵が添えられていた。 人々は口々に「か…

霧の国

アパートの部屋のドアを開けると、ちょうどトイレのドアが開いて、合い鍵を渡しているウェイトレスが出てくるところだった。 気まずい沈黙が数秒続いた後、ウェイトレスは何も言わずに手を洗い、そして私を急かすように、銀のお盆を指先でトントンと叩いた。…

温もり

彼の温もりをいつも感じていたいから、しわしわのでこぼこになってしまうのはわかってるんだけど、ついつい電子レンジにかけてしまう。 温もりを感じるってそういうことじゃないのもわかってるんだけど、やっぱり冷たい肌なんて彼には似合わないから。

バグ

「バグ」というあだ名の牝牛が牛舎の壁にもたれ、前脚の代わりに生えている人間の女の腕で、自らの乳を搾っている。 こいつは手間がかからなくていいや、という牧場主の言葉を頭の中で反芻しながら、彼女は柵の遥か向こうにかすかに感じる父母のにおいを、今…

文明

スプーンにまとわりついていた洗剤の泡は、渦を巻いて流れ去っていった。 満たされたようなそうでないような腹をさすり、俺は乾いた布巾を手に取る。 さっきまでこのスプーンの上で膝を抱えて泣いていた女の顔を思い出しながら。

ハートのクイーン

ハートのクイーンを握りしめたままの腕を楽屋で自ら切り落とし、老手品師は行方をくらませてしまった。 彼がいなくなった理由は誰にもわからなかったが、彼のパートナーであった鳩たちは、今日も健気にシルクハットの中にうずくまり、来ることのない出番を待…

サンライズ・サンセット

歩道橋の階段をのぼりきる直前で、雪だるまはバランスを崩して粉々になった。 春の太陽が美しく見える場所で溶けていきたいと思っただけだった。

ベイビー、アイラブユー

産休中の担任の先生の家に遊びに行った。 先生は赤ちゃんくらいの大きさのゴミ箱を抱えていた。 「だっこしてあげて」と言われ、おそるおそるゴミ箱を受け取ると、中には石鹸と粉ミルクがぎっしり詰まっていた。

晩鐘

夕方の鐘の美しい音色が、茜色の町に響いている。 人通りもまばらな裏通りを歩きながら私は、ポケットに忍ばせていた彼の耳を取り出し、染み込ませるように鐘の音を聞かせてあげる。 部屋で眠る彼の夢が少しでも美しいものになるように祈りながら。

正体

雨が降るとは聞いていたけど、横殴りの風が吹くなんて聞いてない。 必死になって傘を握りしめていたらいつの間にか、手首の部分を固定している糊が、雨水で剥がれてしまっていた。 よりによって友達と一緒に帰っている時にだ。 あーあ。また転校だ。

恐竜の恋人

毎夜見ていた夢の中で、私には恐竜の恋人がいた。 ある夜、まだ夢を見る前に彼が私の部屋を訪ねてきて、一番大きな牙を手渡してきた。 覚えたばかりの恐竜の言葉で「どうしたの?」と訊くと、彼はたどたどしい日本語で「もうお別れだから」と答えた。 その日…

山に返す

明日は恋人を山に返す日だから、せめて今夜くらいは酒でごまかすのはよそうと思う。

初恋と血

初恋の人の血を全身に浴びて、一匹の蚊が穏やかな顔で潰れている。

ばいばい

一番脂の乗った部分のお肉を売って、キツイ匂いの香水を買った。 「美味しそう」と思われずに、好きなあの人と仲良くなりたかったから。

ミッシェル

ベッドの上の俺を優しく力強く締め上げながら、ナースキャップをかぶったその大蛇は、しなやかな尾の先でそっと病室の電気を消した。 ブラインドの隙間から差し込む月の光を受けて、闇の中に美しい牙が浮かんでいる。「ちょっとチクッとしますよ」 大蛇はハ…

蝶を逃がす

今朝も悲しい夢で目が覚めた。 深くため息をつき、認めたくなかった言葉を心の中でつぶやく。 やっぱり私たちは合わないみたいだ。 パジャマを脱ぎ、胸を開き、心臓のファスナーを開けると、白く美しい蝶がのろのろと這い出てきた。 何か言いたいのに何も浮…