トモコとマリコ

超短編を中心とした短い読み物を発表しています。

色のない雨

カーテンを開けると雨が降っていた。 久しぶりに色のない雨だった。 水のにおいの雨だった。 誰も泣かない雨だった。 今日はお気に入りの靴を履き、うつむかずに外を歩くことができる。 空を覆い隠す分厚い黒雲が、とても頼もしく見えた。

海へかえっていく母の姿を見たとき、初めて母の鱗を美しいと思った。

プルプル

楽しみにしていたおやつのプリンを冷蔵庫から取り出し、スプーンですくおうとしたのだが、硬くてスプーンが通らない。 ああ、忘れてた。電池だ。 台所の戸棚から単四電池を持ってきて、プリンにセットすると、プリンはぷるぷると美味しそうに揺れ出した。 夢…

七時

朝、新聞のテレビ欄に目を通すと、今夜七時からの生放送の番組に、僕の名前が載っていた。「死に顔を予想して豪華景品を当てよう!」 そうか、今週は僕なのか。 いつもの通勤電車に揺られながら、ぼんやりと考える。 あの番組が始まった時から観てたけど、結…

でっかいの

学校からの帰り道、ふいに斜め上の方から飼い犬の鳴き声が聞こえたような気がした。顔を上げた。歯医者のペンチのでっかいやつが、私の家を町から抜いて、空の彼方へと消えていくのが見えた。 それで、その日から、私には帰る家がない。 町は、良くなったそ…

審判

寝ようとしたら母に呼ばれた。「何?」「お母さんのこと、好き?」「え?」「どうなの?」「まあ、好きだよ」 母は複雑な顔で笑った。 翌日、私宛に手紙が届いた。 ものすごい達筆で、「気に入っていらっしゃるようですので、そのまま差し上げます」と書かれ…

濁り(改稿)

まだ私が幼かったある日、母がパートから帰ってくるなりあんたちょっと背筋伸ばしてそこにまっすぐ立ちなさいと言った。母の額にはうっすら汗が滲んでいた。私は母の言う通りにした。観たいテレビがあったけど。 母はじっとしてなじっとしてなと繰り返しなが…

冬子(改稿)

近所に住んでいた幼馴染の女の子は生まれた時から難しい病気で、それは足の方から肉が少しずつ剥がれ、その一枚一枚が蝶になって飛んでいってしまうというものだった。はじめのうちは二人とも、青白い顔の彼女の親や医者を横目に、その幻想的な光景を面白が…

葉擦れ

時計を見ると午前二時をとっくに回っていた。ベッドに入ったもののなかなか寝付けない。家の傍の公園から聞こえてくる木々の葉擦れの音が、妙に耳に障る。いつもなら気にならないはずなのに、なぜか今日は、葉っぱが風に揺られるその音が、まるで何か悲しい…

結婚記念日なので妻が好きなケーキを買って帰った。しかし妻は亡くなった息子の写真の欠片を口の周りにくっつけたまま、「お腹いっぱいだから」と微笑むだけだった。 その夜は、妻の手を握って眠った。その手は汗ばんでいるのになぜかとても冷たかった。

竜宮城

活け作りを注文する。板前は威勢のよい返事とともに、濁った生け簀に腕を突っ込む。しばらくごそごそと水をかき回した後、生け簀から出てきた板前の手には、小さな酸素ボンベが握られている。「すぐに浮かんできますから」 板前はそう言って爽やかに笑う。傍…

蜥蜴

一年に一度か二度、死んだ妹の夢を見る。 死んだ妹の夢を見た時は、目覚めると必ず何か一つ私のものがなくなっている。 今回は舌だった。 ベッドの下にもパジャマのポケットにも見当たらない。 台所に行って筆談で母にそのことを伝えると、母は「じゃあ今朝…

失恋した友人が髪の毛を短く切ってきた。 彼女の髪の毛の中に、爆弾の導火線が一本混じっていたと知ったのは、それからすぐ後のことだった。

本望

本望本望。 年老いた庭師はそう笑いながら、葉脈に覆われた妻の死体に、ゆっくり鋏を近づけていった。

秩序

春が来て庭の木に花が咲き、花が枯れ、果実が生る。 果実をもぎ、ナイフで切ると、青い香りの果肉の中に、白いドレスの切れ端が埋まっている。 今年はいくつの実があの木に生るのだろうか。 あの木が彼女を全て返してくれるのは、いつになるのだろうか。

ラン

小学校三年生の時、将来の夢を発表する授業があった。 配られた小さな紙にみんなが夢を書き込む姿を微笑みながら見回っていた先生が、僕が想いを寄せていた女の子の手元を覗き込み、「××さんはお母さんになりたいんだ?」と言った。「ううん、なりたくない」…

弔う象

夜の動物園の闇の向こうに、袈裟を着たゾウが消えていく。今夜、何かが死んだのだ。 しばしの静寂の後、遠くから暗闇を押しのけるように、地響きにも似た読経と、荒々しい木魚の音が響いてくる。 サルはそっと耳を塞ぎ、ライオンは夢の中で狩りを続ける。目…

決別

いつお墓参りに行っても、我が家の墓石にだけ子どもの足跡がついていないのが、すごくすごく寂しい。

今朝もぬいぐるみ工場の前にたくさんの子どもたちが並んでいる。 色々な理由で世間から忘れられた子どもたちだ。 彼らはこれからあの工場で、長い時間をかけて体をほどかれ、やがてぬいぐるみを縫う糸になる。 今年もクリスマスの季節がやってくる頃には、お…

帰宅

庭で死んでいた黒い鳥の、大きく開けられたくちばしの中を何気なく覗くと、粘ついた暗がりの中に人間の目があって、こちらをじっと見つめていた。 目は何かを訴えるように二度三度まばたきをして、涙をぽろりとこぼした。 ああ、これは妹の目だ。 去年、飛行…

ライオン

「あの、すみません」 西日の差す席に腰掛けていたライオンはおずおずと前脚をあげ、ウェイトレスを呼び止める。「はい」「あの、30分くらい前に、その……注文したんですけど……」 ウェイトレスはみるみる不機嫌な顔になり、黙って厨房に引き返す。隅に仕掛け…

足音

風呂掃除をしようと扉を開けると、排水口に泥が詰まっていた。 昔私が森で見捨てたあの子の命日が、今年も近づいてきているのだ。

天使

庭で遊んでいたら、蚊に刺された。 値段が下がったと告げられた。 その日の夜、妹に部屋をとられた。

落ち込む出来事が立て続けに起こった日、うつむいて夜道を歩いていたら、突然私の後頭部に何かがぶつかり、ピコン、と小さな音を立てた。 驚いて顔を上げると、排水溝の蓋の隙間から子どもの腕がにょろんと生えていて、手に握ったおもちゃのハンマーを愉快そ…

ひかり

眠っているのかと思うほど綺麗な死体だった。 枕元の遺書には「ちょきんばこにしてください」と書かれてあった。 食い扶持は減ったが、俺は未だに貧しいままで、彼女だけが冷たく肥っていく。

コツ

友人と呑んだ帰り、一人公園に立ち寄って、ベンチで夜風を浴びていた。ちょっとうとうとしてきた頃、ふいに暗闇からやたら背の高い爺さんが現れた。手にはカップ酒が握られており、すっかり出来上がっている様子だった。 爺さんは酒を呑みながら、何かを口の…

フライング

町で一番高いビルの屋上から、帰る家のない男が飛び降りた。 春の明け方の出来事だった。 サイレンの音と光が近づいてくる中、どこからかわらわらと湧き出てきた野次馬の誰一人として、男の背の上で、羽根のちぎれた蝶が泣いていることに気づく者はいなかっ…

ヒーロー

人のいなくなった昼休みの工事現場で、腕に注射器を刺した無人のショベルカーが、黙々と働き続けていた。

春一番

蜘蛛の巣に引っかかって揺れているのかと思って近づいてみると、その蝶は軒下で首を吊っているのでした。

頭の悪い虫

一年間同じ蜘蛛の巣に引っかかり続け、そして結局食われることのなかったその蝶は、蜘蛛が死んだ今も決まった時間に我が家の軒下にやってきては、肩を落として帰っていきます。