トモコとマリコ

超短編を中心とした短い読み物を発表しています。

緊急事態

長いこと放置していた冷凍室の霜の奥で、小さな人影が小さな人影をビンタしていた。「寝たら死ぬぞ!」 という声がかすかに聞こえた。 映画とかでよくあるやつだ。 こんなところで見ることになるとは。 しかしそもそも彼らはどこを目指してここに迷い込んだ…

月には一匹の老いた猫がいる。 猫には蚤がついている。 猫だけがいる。 飼う人はいない。 飼う人がいないから、洗っていない。 洗っていないから、猫は痒い。 痒いから、掻く。 すると猫から蚤が飛び出す。 その蚤を地球から見たのが、流れ星の正体だ。 だか…

苺と苺

夜中の台所からひそひそ声が聞こえてきたので、何事かと思い見に行くと、テーブルの上に置きっぱなしで冷蔵庫にしまい忘れていたパックの中の苺たちが、明日の朝のためにやはりテーブルの上に置いておいた苺ジャムの瓶に向かって、何かひそひそ話をしている…

体調

朝起きたら喉が腫れていた。軽い風邪でも引いたのかと思い、通勤途中に薬局に寄ってのど飴でも買おうと考えていた。だが、朝食を食べている時、ごはんやおかずの塊がその腫れた部分に触れるたびに、家のインターフォンが鳴ることに気づいて、薬局なのか、医…

マザー

最近ハイハイを覚えたばかりの息子が、せわしなく部屋を動き回っている。「××!おいで!」 そう息子を呼ぶと、息子は、わざわざ俺のいる方のウィンカーを点け、直角に曲がって俺の足下へやってきた。 こういう几帳面なところはマザーにそっくりだ。 ちゅっ。…

七色

雨上がりの町へふらりと散歩へ出て行った飼い猫が、前脚を七色に染めて帰ってきた。こいつ、また虹で爪研いだな。

ブレーカー

今夜は満月だった。そのことを忘れていた。電子レンジを使っていたら、ブレーカーが落ちて、夜空が真っ暗になった。今夜はうちが担当する日だったのだ。四方八方から、鳥獣や虫の不安げな鳴き声が聞こえてくる。 慌てて電子レンジのコンセントを抜き、ブレー…

半ば無理矢理参加させてもらうことになった初めての合コンに備え、柄にもなく眉毛を抜いていた時、とりわけ太い一本を抜いた瞬間、 ふしゅぅ、 と空気の抜ける音がして、俺は萎んで床に落ちていた。 俺がうかつだったのか、こんなところに栓を作る方がうかつ…

光の尾

夜空の真ん中を、青い光の尾を引いて、地球から月へと真っ直ぐ、1ロールのトイレットペーパーが飛んでいく。 彗星とか、流れ星とか、見たことないけど、きっとあんな感じなんだろうな。 あの日空から聞こえてきた「紙取って」 の一言から、こんな美しい光景…

チョキ

じゃんけんで負けたらしいうなだれたチョキの手が、たくさんの雨雲を引き連れて、夕空の彼方へ消えていった。明日は大嫌いな運動会だから、がんばってもらいたかった。

何食った

お前、何食った。 そう問われて二日酔いの頭をフル回転させる。 ゆうべは会社の宴会があったが、珍しく呑み過ぎてしまい、途中から記憶がない。 何軒かはしごしたような気もするのだが、詳しくは思い出せない。 お前、何食った。 我が家の洋式便器から上半身…

林檎

親戚から林檎が送られてきた。一つ磨いて、母の仏壇にお供えした。 その翌朝、幼稚園児の娘が仏壇の前に座って、何かそわそわしていた。「何してんの?」 と訊くと、「寝てたら、おばあちゃんが、××ちゃんが起きたら、これ、食べていいって、言ってたから、…

目覚め

目覚めると猛烈に腹が減っていたので、部屋の隅に放られていただるだるのジャージに袖を通し、サンダルを突っかけて、牛丼でも食いに行くことにした。 家の前の道を右左どちらに行けば牛丼屋に近いのかがわからなかったので、ひとまず右に行くと、先の方が、…

始発

珍しく朝早くからの仕事が入り、眠い目をこすりつつ始発電車に乗り込むと、車内に木琴の音が響いていることに気づいた。発車のベルだろうか。それにしてはやけにぼんやりしたメロディだ。音のする方に目をやると、隅の席に、月が深く身を沈め、泥のように眠…

「この卵はちょっとわけありなので、タダでいいですよ」「……食べられるんですよね?」「気にしなければ」 家に帰って殻を割ってみると、殻の内側にびっしり寄せ書きが残されていた。 「孵化しても元気でね」「大好きでした」「食われんなよ!」 気にしないわ…

明滅

夏祭りの喧噪もすっかり静まりかえった深夜の交差点で、明滅する赤信号の周りを、一匹の赤い金魚が飛び回っていた。 今日の祭りで売れ残ったやつらしい。赤信号を仲間だと思っているのか、それともよほど珍しいのか、きょとんとした顔のまま鼻先でつついたり…

沈める人

夕暮れの空に、街に、耳に、たくあんをかじるような音が、ぽりぽり響いている。 その音が聞こえるたびに、丸い夕日がちょっとずつ、地平線の下へ、ちょっとずつ、沈んでいく。 ぽり、沈む、 ぽり、沈む。 ぽり、沈む、 ぽり、ぽり、沈む。 祖母が言うには、…

夢と夜風

深夜、一人酒の酔い覚ましにベランダで涼んでいると、誰かの見ている夢が夜風にこんがらがったまま低空を漂っているのを見つけたので、何気なく手を伸ばしたら、捕れてしまった。 捕れてしまったのはいいけど、これは……何の夢を見ているのだろう。 掌の中の…

トラウマ

母の遺品の中から、俺の色をした小さな毛糸玉が、転がり出てきた。 「何これ?」 洋服箪笥の中を整理していた父に尋ねると、父はこちらをちらりと振り返った後、再び背中を向け、「お前が生まれた時のやつだよ」 と、ぽつりとつぶやき、手元のアルバムから一…

擬態

至急連絡! の文字とともに、誰かの携帯電話の番号を羽に走り書きされた真っ白な蝶が、川辺の草むらでのんびりと、花の蜜を吸っていた。 今日は天気がいいから、オフィスの窓を開けっぱなしにしていたのかもしれない。 今日は天気がいいから、飛び回って遊び…

旅人

台所に面した窓の向こうを、カタツムリのようなものがのろのろ這っていた。 よく見るとそれはカタツムリではなく、風呂敷包みを背負ったナメクジだった。 家出なのか、 放浪なのか、 泥棒なのか。 あれこれ詮索しながら眺めていたらふいに目が合ったので、か…

通告

ある日突然頭上に現れた巨大な円盤が、じわじわと降下してくるのをどうすることもできないまま、人々が狭い地上を右往左往している頃、地球の周りに浮かぶ人工衛星たちは、地球にゆっくりと巨大な半額シールが貼られていく様子を、笑いを堪えながら撮影し続…

ばた足

庭の隅に植えた星が、いつの間にか芽を出し、茎を伸ばし、その先に新しい星をつけていた。 サラダにしようと思ってもぎっていたら、一番ぷりぷりで美味しそうな星に、宇宙飛行士がたかっているのに気づいた。 指でつまむと、ぎゃっ、と言って、ばた足で逃げ…

通学路

学校から帰ってきた娘が、膝に絆創膏を貼っていた。 訊くと、途中でつまずいて転んだのだという。 カーテンを開けると、満月の端が少し欠けていた。 通学路を考え直さなければいけないと思った。

冷蔵庫のドアポケットに卵が十個納まっているが、 どれが私の買ってきたもので、 どれが冷蔵庫の産んだものなのか、 わからなくなってしまった。 印でもつけておけばよかった。 うかつに食べると、 この間みたいに、 お腹を冷やしてしまう。 お腹を冷やすの…

パスワード

今日も朝からよく晴れていたので、 担当区域の樹を一本一本回り、 そこにとまっている蝉たちのスイッチをオンにしていると、 最後の一匹で、「パスワードを入力してください。」 と求められた。 そうか。 今年ももう、夏が終わるんだな。

痒い

私の恋人の髪の色は、 菫色にも、 深い青にも、 墨色にも見えて、 つまり、夜の色をしていて、 時々何か青白い光が、 髪の中でちらついているのが見えるので、 この間どうしても気になって、「それ何?」 と訊いたら、 恋人は髪の中に指を突っ込んで掻き乱し…

水平線

朝、海の見える部屋のカーテンを開けた時、 しわしわの水平線の上を、 巨大なアイロンが横切っていくのを見た。 アイロンはゆっくりと視界の端へ消え、 後に残されたのは、 見慣れたまっすぐの水平線だった。 珍しく早起きした朝だったのだが、 それが得だっ…

ひつじ

点滴袋に、 ひつじの絵が描かれていたのは、 たとえば子どもを怯えさせないためにだとか、 そういうことだと思っていたのだが、 全然違った。 うわあ。 もっこもこだあ。

雨雲

会社の昼休み、昼食を買いにスーパーに行くと、 夏も終わりに近づいているためか、細切れにされた入道雲が売られていた。 せっかくなので他の物と一緒に一つ買い、近くの公園へ向かった。 しかし、いつものベンチに座り、ビニール袋から雲を取り出してみると…