トモコとマリコ

超短編を中心とした短い読み物を発表しています。

取引

何となく寝付けないので、隣で寝ている女の顔を眺めていたら、ふいに女の腹の辺りに掛かっている布団の下で、何かがもぞもぞと動いた。 不審に思って布団をめくると、女の腹の上を、積荷を背負った馬と商人らしき男が歩いていた。 馬と商人は女の体の上をゆ…

決心

初めて彼女とホテルに行った。 シャワーを浴びて僕の前に立った彼女は、右のわき腹に蝶つがいが取り付けられていた。 「背中にはあまり触らないでね」 そう言って彼女は僕をベッドに押し倒した。 僕は曖昧に頷き、彼女の胸に顔を埋めた。 ノックの音のような…

仕送り

今日、実家から左の目玉が届いた。 ようやく視界が広がったのはいいのだが、漬物の空き瓶に入れられていたせいで、顔の左半分が何となく酸っぱい。

予習

ある春の夜、公園を歩いていると、静寂の中にかすかに蝉の鳴き声が聞こえた。 まだ夜は肌寒いというのに、ずいぶん気が早い。何より、足元の方から聞こえてくるような気がする。 誰かのイタズラかと思いつつ耳を澄ませてみたところ、どうやら樹の根元の地面…

この前夫が健康診断を受けた病院から、妻である私だけが呼び出しを受けた。 何事かと思っていると、医者は「ちょっとこれを見ていただきたくて」と切り出し、夫の肺のレントゲン写真を取り出した。 写真を見ると、夫の肺に影がくっきりと写っている。 髪の長…

トイレのトラブル

どうしよう。早くおしっこを済ませてベッドに戻りたいのに、トイレの扉の向こうから、ぶらんこを漕ぐ音が聞こえてくる。

ベイビー、ユーアーリッチマン

偶然通りかかった自販機のガラスケースの中には、女の首が一つ納められていた。 首の下にはコインを入れる穴と、何も書かれていない大きなボタンがあるだけだった。 財布の中にあった小銭をすべて入れ、ボタンを押すと、女の首がガラス越しに小さく笑った。 …

ハンプティ・ダンプティ

そんなに急いで、たくさん食べなくてもいいのに、と彼女は呆れたように俺に言う。 俺もそう思う。 けれど、彼女が砂糖菓子に戻ってしまう前にお腹を一杯にしておかないと、えらいことになってしまうのだ。 幸い、彼女はまだ自分の背中の一部がかじり取られて…

栄養

誰かが線路に飛び込むたびに、あの列車は肥っていくんですよ。

鯨とイソギンチャク

胸に造花を飾った鯨が体育館をゆっくり泳ぎ回りながら、低く張りのある声で堂々と送辞を述べている。 体育館には卒業生たちのすすり泣く声が聞こえ始め、やがて鯨の目からこぼれた涙とともに、万雷の拍手が響き渡る。 その音を遠くに聞きながら、イソギンチ…

愛妻弁当

昨日の夜、大喧嘩をした嫁が、今朝何事もなかったかのように弁当を手渡してきた。 その日は午前中から仕事が立て込み、いつもより昼飯の時間がだいぶ遅れてしまった。 ようやく休憩時間になり、鞄から弁当箱を取り出すと、弁当箱の底を突き破って、細かな棘…

しつけ

理科の実験で解剖したカエルの腹の中には、感謝の言葉が綴られた置手紙の他に何も入っていなかった。

慕情

俺の住む町の海岸にある日、大量の手紙が流れ着いた。 町の人々がそれを拾い集めて読んでみると、そこには覚えたてらしいたどたどしい文字で「わたしのこどもをかえしてください」と書かれており、傍らに幼いクラゲの絵が添えられていた。 人々は口々に「か…

Q

「どっちに入ってるか当てられたら、返してあげる」 握った拳を二つ突き出して、その人はそう言った。 僕らはあれこれ相談して、左手を指さした。 開かれた左手は空っぽだった。「残念でした」 こうして地上から太陽が消えた。

母になる人

公園に遊びに行っていた娘が、不機嫌な顔で帰ってきた。 どうしたの、と尋ねると、砂場でおままごとをしていたら、カビたエプロンをしたお姉さんがやってきて、お母さんの役を無理矢理とられてしまった、という答えが返ってきた。 今時の子どもも砂場でおま…

月に吠える

月の表面には相変わらず「Now Printing」の味気ない文字が浮かんでいる。 以前はベランダから月を眺めるのが好きだったのに、今ではすっかり興ざめだ。 ウサギの餅つきにはもう飽きた、とさんざん騒ぎ立てた連中の行方は、未だわかっていないらしい。

霧の国

アパートの部屋のドアを開けると、ちょうどトイレのドアが開いて、合い鍵を渡しているウェイトレスが出てくるところだった。 気まずい沈黙が数秒続いた後、ウェイトレスは何も言わずに手を洗い、そして私を急かすように、銀のお盆を指先でトントンと叩いた。…

幸せのパーティー

仕事を終えて自宅のアパートに帰ると、自転車置き場に、死にかけのサメが横たわっていた。 背びれのところに鞍が取り付けられているのを見るに、どうやらこいつに乗ってここに来た誰かがいるらしい。 今日は夜から雨が降るって言ってたから、ここに置いとい…

いい日旅立ち

彼の切れ端に足を滑らせて、フローリングに転んでしまった。 思い切りぶつけた膝がじんじん痛む。 でも、これが彼から受ける最後の暴力だ。 湿った箒を右に左に動かす私を、夕闇がゆっくりと包んでいった。

ふたりで肥る

最近ちょっと食べ過ぎかな、とは思っていたが、風呂上がりに体重計の上に乗ってみたら、案の定ちょっと増えていた。 とりあえずダイエットはするとして、私が肥ったなら彼にも肥ってもらわなきゃいけない。 クローゼットの奥からもう着ない服や古いバスタオ…

最後の

菜箸がフライパンの上でくるくる回っている。 バターを溶かしているのだ。 昨日まで、窓の外の最後の一葉が落ちたら私も死ぬんだと思い込んでいたけど、全然関係なかった。 参ったな。

温もり

彼の温もりをいつも感じていたいから、しわしわのでこぼこになってしまうのはわかってるんだけど、ついつい電子レンジにかけてしまう。 温もりを感じるってそういうことじゃないのもわかってるんだけど、やっぱり冷たい肌なんて彼には似合わないから。

バグ

「バグ」というあだ名の牝牛が牛舎の壁にもたれ、前脚の代わりに生えている人間の女の腕で、自らの乳を搾っている。 こいつは手間がかからなくていいや、という牧場主の言葉を頭の中で反芻しながら、彼女は柵の遥か向こうにかすかに感じる父母のにおいを、今…

関門

私をモデルに、画用紙にクレヨンで機嫌よく絵を描いていたアヤちゃんが、ふいにピタリと手を止めて、難しい顔をし始めた。 どうやら、私の腰から下が徐々にグラデーションで消えているその境目を、どう描いたらいいのか悩んでいるらしい。

出歯亀

ある夜、帰路の途中にあるドブ川の傍を通りかかった時、水がびしゃびしゃと波打っていることに気づいた。 昼間見ても濁っているこの汚い川に生き物なんて棲んでいるのか? 興味本位でしばらく目をこらしていると、ふいに波がしんと静まり返り、直後に川の中…

研究報告

古生物学者たちの長年の研究の結果、某国のある地層から発見された生物の化石に共通する謎の骨片の正体は、骨ではなくファスナーの部品らしいという結論が導かれた。

遅延

スーツを着た首のない人々が、朝の駅のホームにひしめき合っている。 彼らの頭を運んでくるはずの列車が、今朝は少し遅れているのだ。 時計を見る目も、アナウンスを聴く耳も、遅刻の言い訳を考える脳味噌もみんな列車の中だから、彼らは朝の光の中で立ち尽…

文明

スプーンにまとわりついていた洗剤の泡は、渦を巻いて流れ去っていった。 満たされたようなそうでないような腹をさすり、俺は乾いた布巾を手に取る。 さっきまでこのスプーンの上で膝を抱えて泣いていた女の顔を思い出しながら。

恐るべき子どもたち

係の男に整理券を手渡し、案内された蛇口をひねると、黒っぽい液体が流れ出てきた。 男の子だ。 役所のパンフレットによれば、これを好きな型に詰めて冷凍庫で固めれば、入園式までには余裕で間に合うらしい。とりあえず一安心だ。 しかし子どもってのは本当…

大脱走

食べられるのが嫌だったわけではなかったらしい。 冷蔵庫の中から逃げ出した豚足は今、玄関で私のハイヒールを履いて楽しそうに歩き回っている。