超短編小説 トモコとマリコ

超短編小説を中心とした短い読み物を発表しています。

リモコン

 庭の物置を整理していると、かびくさい箱に入ったよくわからないリモコンを見つけた、何気なく「入」のボタンを押すと、リモコンはピッと鳴った、が、家の方で何かが動いた様子はなかった、その日の夕方、玄関先に知らない爺さんが二人やってきて、「××君、遊びに来たよう」としゃがれた声で叫び始めた、××とは、こないだ死んだ祖父の名前だ、もしかして、さっきのリモコンか、リモコンを再び物置から取り出し「切」のボタンを押すと、玄関先の爺さん二人はハッとした顔をしたあと、それはやがて苦笑いに変わり、リモコンを一瞥してきびすを返し、とぼとぼとどこかへ帰っていった、そういえば祖父は毎年、年賀状が届くのをとても楽しみにしていたが、このリモコンの存在を知ってしまった今、あの大量に届いていた年賀状のうち、何枚が「本物」だったのだろう、と思った、リモコンは祖父の墓に供えることにした。

空っぽのバス

 買い物の帰りに、空っぽのバスを見た、誰も乗っていない、空っぽのバスを見た、空っぽのバスに、夕日が満ちていた、空っぽのバスにおそらく、静寂が満ちていた、運転手の顔は、捨てられた人形のようだった、空っぽのバスが、角を曲がっていった、群れを離れる老いた象のように、空っぽのバスが、坂を下っていった、深みへ帰る孤独な鯨のように、空っぽのバスが、そして、見えなくなって、夕日のほとりの埃っぽい道の上に、私はひとり立っていた。

毛糸玉

 夜空に浮かぶ毛糸玉、月のかわりの毛糸玉、ある夜地球と喧嘩して、ぷいと家出してしまった月のかわりに、夜空に浮かべられることになった毛糸玉、ちょっと黄色い毛糸玉、はじめのうちは居心地悪そうだったけど、最近ではすっかり月の顔になってきた毛糸玉、ちょこんとしっぽのように飛び出た糸の端、それに引っかからないように慎重に夜空を飛ぶ飛行機たち、そして毎晩誇らしげな顔で眠る世界中の羊たち、月のかわりの毛糸玉、いつか本物の月が地球のもとへ帰ってきたら、月と地球を結ぶマフラーになることが決まっている毛糸玉、その日まで夜空には毛糸玉、野良猫たちを毎晩うずうずさせる、毛糸玉。

メトロノーム

 中学の時、笑わないことで有名な音楽の先生がいた、いつも仏頂面でピアノを弾き、仏頂面で合唱の指導をしていた、嫌な先生ではなかったが、笑った顔を見たことがないというのが災いし、何となく生徒からは避けられていた、ある日の放課後、掃除をしに音楽準備室を訪れると、ドアの向こうから、ハ、ハ、ハ、というぎこちない声が聞こえてくることに気づいた、そっとドアを開けて中を覗くと、件の先生がひきつった笑顔でメトロノームの前に立ち、そのテンポに合わせて、ハ、ハ、ハ……と笑う練習をしていた、私は、恐ろしかったのか、悲しかったのか、色々が混じった複雑な感情を覚え、そっと音楽準備室の前から立ち去った、そこを偶然担任に見つかり、掃除をさぼるなと叱られたが、もう音楽準備室には戻りたくなくて、走って逃げたのを覚えている、それからすぐ後、その音楽教師は別の学校へ移っていき、二度と会っていないが、今頃あの人、どこかでちゃんと笑えているのだろうか、私はといえば今でもたまに調子が悪い時などには、あのぎこちない笑顔とメトロノームの音に合わせた笑い声が夢に出てきて、そんな日は決まって一日顔が引きつって、おいしいものを食べてもうまく笑えない。

家賃

 誕生日に、砂浜できれいな巻貝の貝殻を拾った、自分へのプレゼントとして家に持ち帰った、が、使い道がなかった、結局十五分で元の場所に帰ってきた、砂浜に投げ戻そうとした時、ふと、この貝殻に、ヤドカリが住みついてくれないかな、と思いたち、ヤドカリがいそうな場所を適当に見繕って、そこに貝殻を置いて帰ってきた、あの貝殻にヤドカリが住んでくれたら、家賃に小魚でももらおうかな、あ、でも毎月わざわざ小魚だけもらうの微妙に面倒くさいな、あ、そうだ、家賃として海の話でも聞かせてもらおうかな、その方が楽しそうだ、そんなことを考えながら家路についた、靴の中は砂でじゃりじゃりだったけど、近年では一番充実した誕生日だった。