超短編小説 トモコとマリコ

超短編小説を中心とした短い読み物を発表しています。

苺と苺

 夜中の台所からひそひそ声が聞こえてきたので、何事かと思い見に行くと、テーブルの上に置きっぱなしで冷蔵庫にしまい忘れていたパックの中の苺たちが、明日の朝のためにやはりテーブルの上に置いておいた苺ジャムの瓶に向かって、何かひそひそ話をしている声だった。家族の誰かが起きているのかと思っていたが、事態はもう少し複雑なようだった。
 とりあえず苺ジャムの瓶を苺たちから見えない場所に隠した方がいいと思いそうすると、ひそひそ声は一層高まってしまった。どうやら余計なことをしてしまったようだ。不安そうな苺たちに何を言うべきかなすべきか考えて迷っていると、トイレに起きたらしい父が背後からぬっと現れて、長身を折るようにしてパックを覗きこんだ。「ううん」と父は難しそうな声でしばらく唸っていたが、ふいに何か思い切ったようにパックのセロファンを剥がし、その中の一粒をひょいと口に入れた。その瞬間、ひそひそ声はぴたりと止んだ。父は苺をゆっくり噛んでゆっくり飲み込むと、そのまま何も言わずに寝室に戻っていった。
 すっかり静かになったパックの苺を冷蔵庫に入れる時、なぜだか知らないが、小学校の保健室で寝ている子どもの映像が頭に浮かんだ。

 翌朝、パックの苺を洗って、朝食に出した。
「苺と苺でかぶってるよ」という話で父以外の家族が少し賑やかだった。

体調

 朝起きたら喉が腫れていた。軽い風邪でも引いたのかと思い、通勤途中に薬局に寄ってのど飴でも買おうと考えていた。だが、朝食を食べている時、ごはんやおかずの塊がその腫れた部分に触れるたびに、家のインターフォンが鳴ることに気づいて、薬局なのか、医者なのか、電気屋なのか、大家なのか、自分はどこに寄るべきなのかわからなくなってしまって、結局、仕事を休んだ。そんな一日だった。

影が膨らんでいく

 夕暮れ時、路地に伸びる自分の影が、いつもより濃いような気がした。
 よく見ると、俺の影の中に、一回り小さい別の影が見えた。

 俺の影に、影が生まれたようだった。それで濃く見えたのだ。
 すると、俺はもうすぐ消えるらしい。俺の影が、次の俺になるために、その影が生まれたのだ。

 急な話だ。何だかあっけない。俺の時もこうだったのかな。

 俺もかつては俺の影だった。初めて全身に陽の光を浴びた時のじわっと感を、今でもよく覚えている。
 いや、訂正。今さらになって思い出している。

 影じゃなくなれば、楽しいことばかりだと思っていたけど、そうでもなかったな。

 夕日が眩しい。
 足下で影が膨らんでいく。

 何か言った方がいいのかな。

 影じゃなくなると、夜が心細いぞ。
 だから早く友だち作れよ。
 それじゃ。

マザー

 最近ハイハイを覚えたばかりの息子が、せわしなく部屋を動き回っている。
「××!おいで!」
 そう息子を呼ぶと、息子は、わざわざ俺のいる方のウィンカーを点け、直角に曲がって俺の足下へやってきた。
 こういう几帳面なところはマザーにそっくりだ。

 ちゅっ。
 ピピッ。