超短編小説 トモコとマリコ

超短編小説を中心とした短い読み物を発表しています。

掌編集・十四「入れ食い、きっかけ、転校生と綿」

【一.入れ食い】

 ご覧になりましたか、あの列車。
 すっかり齧り尽くされていましたね。
 あの山にトンネルを掘ったのがそもそもの間違いだったんですよ。
 私のおばあちゃんが言ってましたもん。
 アレはいつも腹を空かせているんだって。


【二.きっかけ】

 呑みこんだネズミが縫い目をほどいて逃げていったのを見て、初めて自分が本物の蛇じゃないことに気がついた。


【三.転校生と綿】

 転校生が教壇に立って自己紹介をしている。
 彼の手首の辺りがほころび、中から綿がはみ出ているのに気づいたのは、最前列の席に座っている私だけだった。
 気づかれないようにそっと手を伸ばして綿を抜くと、綿は少し温かくて湿っていた。

 その日の放課後、下駄箱で転校生に呼び止められた。
「……何?」
「……箸がうまく持てなくなるから、ああいうのやめてね」
 それだけ言って彼は帰ってしまった。
「……」
 何となくとっておいた綿は、駅のゴミ箱に捨てた。

パオパオ

 休園日の動物園の象舎を点検しに行くと、象がパオパオ笑いながら踊り回っていた。
 やめろと言っても聞こえていないようだったので、持っていた竹箒で頭を引っぱたいて無理矢理黙らせた。
 後で他の飼育員に聞いたら、象の中の奴ら、休園日だからって朝から酒を呑んでいたらしい。

掌編集・十三「煙突、口が痛い、虎と下着」

【一.煙突】

 友達と遊んだ帰り道、ふと何か嫌な気配を感じて後ろを振り返ると、近所の工場の煙突に大きな喉仏がくっついていて、夕焼け空を飛ぶ鳥の群れをごくごくと飲み込んでいた。


【二.口が痛い】

 口の中が痛くて目が覚めた。
 どうも口内炎や虫歯という感じの痛みじゃない。
 我慢できそうにないので、娘を保育園に送ったらすぐに病院に行こうと思い、とりあえず隣で寝ていた娘を揺り起こすと、娘が私の顔を見るなりケラケラ笑い出した。
 何事かと思って鏡を見ると、私の前歯のあちこちに小さな足跡が残されていた。


【三.虎と下着】

 動物園から虎が逃げました云々とラジオが言った。
 町のどこかをうろついています云々と町内のスピーカーが言った。
 虎は先週人を食べた罰に餌を抜かれていたので云々喉がとても渇いているそうです云々とテレビが言った。
 町じゅうの川に薬が溶かされましたとパトカーの拡声器が言った。
 そして町じゅうの川が桃色に染まった。
 困ったことになった。
 私は汚れた下着を洗うために町をさまよっていた。
 汚れた下着を母に見られたくなかったので、川で洗おうと思っていたのだ。
 私は綺麗な川を求めて歩き続け、やがて町の外れでそれを見つけた。
 川辺に腰かけ、ポケットから下着を取り出す。たくさん歩いたせいか、足と足の間がじんじんする。
 そっと川に触れてみる。水が冷たい。指先がかじかむ。しかし下着が汚れている。母に見つかる前に洗わなければいけない。
 気合いを入れて汚れた下着を洗い始めてすぐに、隣に大きな影が現れた。
 大きな影は私などには目もくれず川の水をごくごくと飲み始めた。
 私が下着を洗う音と、隣で喉を鳴らす音とが、奇妙に響き合っていた。
 ふいに背後で叫び声がした。
 声は私の名を呼んでいた。
 私は慌てて汚れた下着を手の中に隠した。
 しかし声はどんどん近づいてくる。
 隣で水を飲んでいた影が声の方へ振り向いた。そういう気配がした。
 声は私の名を呼ぶのをやめ、聞いたこともないような音の塊になり、すぐに消えた。
 背後で何かが何かを食べる音がした。
 下着の汚れはいつまで経っても落ちなかった。

掌編集・十二:壁、十二時、クミコ

【一.壁】

 日曜日の昼下がり、4歳になる息子が庭に出て、にこにこ笑いながら家の壁にホースで水をぶちまけていた。
 いたずらしちゃダメでしょ、とホースを取り上げると、息子は困ったような顔をしてあっさり引き下がった。
 次の日の朝、庭に出て洗濯物を干している時、昨日息子が水をかけていた辺りをふと見ると、コンクリートの壁を突き破って何かの植物の芽がちょこんと生えていた。


【二.十二時】

 壁掛け時計の針がひくひくと震えたまま、十二時を指そうとしていつまでも指さない。
 私がベランダから飛び降りるのを待っているらしい。
 急にすべてが馬鹿馬鹿しくなり、部屋に戻って丸めた遺書をごみ箱に棄てると、舌打ちみたいな音を立てて、針が十二時を指した。


【三.クミコ】

 朝のオフィスで、クミコの首の美しい産毛が陽光にきらめいている。
 朝のオフィスで、クミコの唇の甘い赤を紅茶の滴がおずおずと濡らす。
 朝のオフィスで、クミコの癖の罪作りなつま先が揺れている。
 朝のオフィスで、クミコがクスクス私を笑っている。

(いつまでそうしてるの。)

 夕暮の道を、影と影との距離にいろいろと理由をつけながら、クミコと私が歩いている。
 夕暮の道が、筒のようになった勤め人たちを次々と排泄している。
 夕暮の道で、未来が白い腹を見せて引っくり返っている。
 夕暮の道に、膨らんだ袋の影が、振り子のように揺れている。

 夜のキッチンで、クミコの乾いた踵がひび割れていく。
 夜のキッチンで、クミコの国を流れる川が涸れていく。
 夜のキッチンで、クミコの櫛が折れたまま踊っている。
 クミコの国の空を、狂った雲が流れ去っていく。

(いつまでそうしてるんだ。)

 夜のキッチンの屋根に、雨粒が落ち始める。