超短編小説 トモコとマリコ

超短編小説を中心とした短い読み物を発表しています。

猫と列車

 満員電車に揺られていたら、どこかから猫の鳴き声が聞こえてきた。
 乗客がざわざわしながら辺りを見回しているが、どうも私の足元に声の主がいるらしい。
 そっと下を見てみると、子猫が2匹、不安そうに私を見上げていた。

 白と灰色のまざった子猫が2匹、右の靴下には白い猫、左の靴下には灰色の猫。
 どうやら昨日棚にしまった時、違う靴下同士を組み合わせてしまったらしい。

 ますます大きく鳴き始めた子猫たちの声を聞きながら、自宅の方で生まれた子猫たちのことと、アパートの管理人への言い訳を考えて、朝から少し憂鬱になった。

へそと手紙

 弟か妹のつもりで接していた屋根裏のネズミがある日、俺の部屋にお別れを言いに来た。いつものぼさぼさの毛皮ではなく、小さな宇宙服を着て、小さなヘルメットを小脇に抱えていた。
 天井を指さすので、天井の板を外し屋根裏を覗くと、小さな通信機の光のチカチカの向こうに、小さなロケットのシルエットが堂々とそびえていた。
 餞別の絆創膏をネズミに手渡して、目的地に着いたら手紙でもくれよと言うと、ネズミは少し笑ってチュウと答え、俺の服の中にもぐりこみ、へそにキスをして屋根裏に戻っていった。

 その日の晩、天井からぶら下がる裸電球を眺めながらベッドに寝転んでいたら、予期せぬ轟音とともにアパートがブルブルと揺れた。
 ネズミのロケットが発射されたらしい。
 慌てて窓の外を見ると、ねじれたロウソクみたいな変な形のロケットが、真っ直ぐ夜空に向かって飛び去っていくところだった。

 発射の時の衝撃でアパートはしばらく停電になるし、部屋も廊下もあちこち埃だらけになるし、屋根に大きな穴が空いて管理人は怒っているし、まったくしょうがないやつだと思いながら、今は毎日ポストを覗いて、ネズミからの手紙をひそかに待っている。

氷と寝癖

 寝ているあなたをそっと氷に閉じ込め、ベッドに乗せて窓に立てかけて、午後の陽を浴びながらサンドウィッチを食べる。
 少しずつ溶けていくあなたのところへ、飼い猫がやってきて、喉を潤す。

 目覚めたときのあなたの驚いた顔を想像して、思わずにやにやしてしまう。もしかしたらもう目覚めないのかもしれないけど。
 陽の光が寝癖の髪にキラキラまとわりついて、とても綺麗だ。

額縁とクラゲ

 描かれた海がほどけ、水の色を脱いだクラゲが額縁から逃げ出した。
 見つからないように私の家を抜け出し、野良猫の追跡をふりきり、海へ行く列車に乗り込んで、今頃はどこかの勤め人の革靴の上で疲れた体を休めているだろう。

 残された私は空っぽになった額縁を物置にしまう。
 首輪だけが残された犬小屋や、文字の消えた手帳が隅で埃をかぶっている。
 何も映さない鏡台の前に座り、膨らんだ空っぽのお腹をさする。
 庭の大きなクルミの木の枝では、老いた母鳥が空っぽの卵を温めている。

星と砂糖

 本を閉じて目薬をさし、土曜日の月に腰かけて、生まれ育った町をぼんやりと眺めている。
 かじりついたドーナツからこぼれた砂糖の粒が、星のふりをして夜空に降り注ぐ。
 生きていた頃と何も変わらない退屈な町が、少しだけ色っぽく見える。

 背の高いマンションのベランダで語らっていた若い夫婦の奥さんの胸に抱かれた赤ん坊が、キラキラ光る砂糖の粒をじっと見つめている。
 野菜の大きなシチュー、ハンドクリーム、卒業証書を入れた筒、夜中のエレベーターに漂う化粧の匂い、汗でべたべたした男の背中。
 赤ん坊の顔を見ているうちに、とりとめもなくそんな記憶が溢れてきて、何だかよくわからないけど、夜が更けて月が消えるまではここでドーナツを食べながら、あの赤ん坊をからかってやろうという気分になった。