夕暮の児童公園に火の輪が佇んでいる。
もう随分前にサーカスを追い出された、古ぼけた火の輪だ。
ちろちろと切れの悪い小便のような火を身にまとい、かつてその身をくぐらせたライオンや虎の顔を思い出して、ぼんやりと日を潰す。
藤棚の上で火の輪を睨む、羽根の端を焦がした鳩の恨めし気な瞳にはいつまで経っても気づかない。
蛇と笛
ずっと昔、酔った女を俺の部屋で介抱していた時、乾いた寝息を立てて眠る女の首筋に、いくつもの穴が空いているのを見つけた。
何気なく指で一つの穴を塞いでみると、女の寝息の音色が少し変わった。エキゾチックな感じの不思議な音色で、聞いていると体中の骨や肉をむずむずと心地良い痒みが襲う。
面白くて穴をかわるがわる塞いでいると、段々と何かメロディのようなものが出来上がっていった。それと同時に、穴を塞ぐ俺の指が、タップダンスでも踊っているかのように、激しく動き出して止まらなくなった。
半笑いのままどうしたものか考えていたら、窓の外にふと視線を感じた。おそるおそる目をやると、俺の部屋の前の排水口や雨樋の隙間から、色とりどりの無数の蛇が首をもたげている。驚いて女を起こそうとしたら、女が夜の闇を飴で固めたような瞳でじっと俺を見つめていた。
チョコレートで出来た友達が
チョコレートで出来た友達が
軒下で夜を待っている夕暮時
野鼠に齧られた鼻の頭を気にしながら君は、
チカチカ光りはじめたエッチなお店のネオンを見つめている。
*
チョコレートで出来た友達が夜を待ちながら
軒下で歌を口ずさんでいる夕暮時
君の喉の奥に居座るざらざらした砂糖の塊は、
小さかった頃の私の料理下手のせいだ。
*
君の背中に照りつける西陽の光は、
むせかえるような甘い香りを街の隅に漂わせ、
眠りはじめた野鼠たちは夢の中で砂糖壷に溺れる。
*
明るいキッチンに立ち人間の友達のために鍋をかき混ぜながら、
洗濯機の渦を眺めるのが好きだった君の、
か細い鼻歌を今さら思い出している。
舞台用台本「ドーン」
(爆撃の音や銃声が聞こえる。)
(舞台の下手、「怪獣」の姿が浮かび上がる。)
(白いワンピースを着た華奢な少女。)
(「怪獣」は周りの砲撃の音に耳を塞ぎ、目を強く瞑る。)
(高まる砲撃の音。)
(「怪獣」はやがて胸を押さえその場に崩れるようにして倒れる。)
(断末魔の咆哮が響く。)
(舞台の上手、「若い男」と「若い女」の姿が浮かび上がる。)
(二人とも乱れた格好で眠っているが、やがて若い女が目を覚まし、テレビを点ける。)
若い女「(独り言)……あ、怪獣、死んだんだ」
(若い女、若い男の顔をからかうように撫でながら、)
若い女「怪獣、死んだって……」
若い男「(目を覚まし)うん……?」
若い女「怪獣、死んだって……」
若い男「(まだ半分眠っている)あ、そうなんだ……」
(「怪獣」の傍に、物々しい装備に身を包んだ男たちが集まる。)
若い女「(あくびして)仕事休みになんないかな……」
(若い女、若い男の上に覆いかぶさり、)
若い女「ね!」
若い男「(驚いて)何、何?」
若い女「仕事休みになんないかなって」
若い男「(寝ぼけて、しかし不安そうに)仕事休むの?」
若い女「行く行く。だってこれ(「怪獣」の方を指差し)関係ないし、別に」
(若い男、やっと起き出してテレビを観る。)
(若い女、身支度を整え始める。)
若い男「……これどこ?」
若い女「知らない」
(舞台下手で、巨大な機械の動く音が聞こえてくる。)
(「怪獣」の周りの男の一人が、足で蹴るようにして「怪獣」を仰向けにさせる。)
(舞台上手で若い女が、化粧を始める。)
若い女「あ、そうだ。台所にそうめんとかあるから、夜は適当にそれ食べて」
若い男「あい」
若い女「ハローワークちゃんと行きなよ」
若い男「行ったって無いんだもん、仕事」
若い女「(「怪獣」の周りの男を指差し)あれやればいいじゃん」
若い男「(笑って)やだよ」
若い女「ミサイルとか撃てるよ。ふふ」
若い男「いいよ、別に」
(機械の音、断続的に。)
(若い男、ぼーっとテレビを眺める。)
若い男「……あー。メスだって」
若い女「え?」
若い男「あの怪獣、メスだったんだって」
若い女「ふーん……」
(舞台下手、「怪獣」の周りの男たち、無線の指示を受け、一人を除いて全員去る。)
(残された一人の男は、「怪獣」をじっと見下ろしている。)
(舞台上手、相変わらず若い男はぼーっとテレビを眺めている。)
(化粧を終えた若い女、口紅を若い男に投げつける。)
若い女「ドーン」
若い男「痛っ。……何?」
若い女「ミサイル」
若い男「え?」
若い女「似てない?口紅。ミサイル」
若い男「(口紅を手に取り)……あー。……あー、うん」
若い女「(立ち上がり)じゃ、行ってくる」
若い男「うん」
若い女「仕事探せよ」
若い男「へいへい」
(若い女、「怪獣」の前を横切るようにして颯爽と去る。)
(若い男、髭を撫でたりしながらテレビに戻る。)
(断続的に機械の音が聞こえるが、情景に何も変化はない。)
(若い男、大きくあくびをする。)
(とつぜん、搾り出すような「鳴き声」が響く。)
(「怪獣」、ゆっくり身を起こし、傍らの男の足にすがりつく。)
若い男「お?」
(物々しい装備の男たちが一斉に戻ってきて、「怪獣」に向けて銃を撃ち続ける。)
(ゆっくり倒れる「怪獣」。)
(再び、断末魔の咆哮。)
若い男「……おー」
(若い男、しばらくそのままテレビを観ているが、やがておもむろに口紅を手に取り、)
若い男「……ドーン」
(と、口紅を「怪獣」めがけて放り投げる。)
<了>
good morning, good morning
明け方頃の町の空に、大きな子どもが寝そべって、眠たげな顔で面倒くさそうに、傍らに置いた藤の籠から、スズメを一掴み二掴み、町の電線にばら撒いていた。
スズメたちはどれも標本みたいに、ピクリとも動かなかったが、電線にばら撒かれた彼ら彼女らは、上下も左右もバラバラで、何だかちょっと不憫だった。
大きな子どもが籠を逆さにして、伸びやかなあくびを一つした時、どこからか大きな母親がやってきて、彼の頭を引っぱたいた。
大きな子どもは泣きじゃくりながら、何やら母親に抗議していたが、大きな母親は聞き入れず、もう一度子どもを引っぱたいた。
大きな子どもは観念した様子で、涙を拭いながら、電線のスズメたちの向きを、一つ一つ揃えていった。
……あれ、
あの細い指、
あの長い睫毛、
あれは幼稚園の時に亡くなった、隣の家の……。
私がそんなことを考えた時、ちょうど町に朝日が昇った。
大きな母親が慌ててすっ飛んできて、手際よくスズメの向きをパッパと揃えた。
何となく不満そうな子どもの横で、母親がパチンと指を鳴らした。
電線のスズメたちが一斉に鳴き出し、二人の姿は町の空に溶けるように消えてしまった。